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【廃線散歩】4.弘南鉄道黒石線
前回に続き、黒石関係の記事です。
以前こちらの記事で最後「今度は大鰐線に乗った時のレポと、弘南鉄道と深い関わりのある某廃線跡を辿った時のレポ」と書いていたのにそのフラグを回収しないまま冬が過ぎ、春が過ぎ……w
よって今回は「某廃線跡」について紹介したいと思います。
黒石線の歴史
1912年、鉄道省(後の国鉄)により黒石軽便線として開業。
川部~黒石までの6.2kmを結んでいた小さなローカル線でした。
現在、川部駅は奥羽本線と五能線の乗換駅ですが、ここにもう1本、黒石線がかつては在ったということですね。五能線(開業当時は陸奥鉄道)が川部駅から走るようになったのは1918年なので、黒石線が当駅に来たのは本線に次いで2番目です。
ちなみに、軽便線というのは「軽便鉄道法」という当時存在した法律を準用して作られた路線です。軽便鉄道法は、民間による鉄道建設推進を目的としてそれ以前に施行された「私設鉄道法」よりも敷設条件等が簡素化されたもので、地方にも鉄道建設を促すために制定されました。
1922年「黒石線」へ名称変更。
さて、この記事のタイトルが「弘南鉄道黒石線」となっていますが、ここまでの話で「国鉄黒石線」では?と思われたかもしれません。確かに、国鉄再建法(国鉄の酷い財政難からローカル線が山のように消されるきっかけとなった法律)により黒石線もその対象となるまでは、間違いなく国鉄でした。が、最終的に廃線となった時は弘南鉄道だったため、このようなタイトルにしました。それについては以下説明していきます。
1950年、黒石線の存在を揺るがすライバル路線が現れます。
弘南鉄道弘南線の黒石延伸です。
弘南線の方が本数は多く、乗客はライバル側へ流れていきました。乗客数が減ってしまった黒石線はその後、国鉄再建法による廃止対象として選ばれる結果となってしまったわけですね。
ただ、ここからが面白い展開なのです。
1984年、弘南鉄道黒石線への転換。
なんと廃線に追いやられるきっかけとなったライバル会社への移籍が決定しちゃうんですね。wikiによると、黒石線存続を望む地元自治体の要請で…ということのようですが、弘南鉄道もよく引き受けましたな…。
転換後、それまでは国鉄同士で五能線との直通運転もあった黒石線ですがそれが無くなったり、運賃が国鉄・弘南鉄道と別立てで割高になったりしたことで乗客は離れる一方。黒石駅舎を新設し生協のスーパーマーケットを併設して集客を図る、コスト削減等の結果、営業係数は国鉄時代に比べると改善されましたが、やはり利用者減による悪影響は無視できず、1998年、ついに黒石線は廃線となりました。
川部からスタート
今回も今昔マップの地図を使用します。
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黒石駅周辺
ここで黒石駅周辺の拡大地図をご覧ください。
国鉄黒石線と弘南鉄道弘南線が共存していた時代、それぞれの駅があって微妙に離れていました。
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国鉄時代の廃線跡は真っ直ぐ進んでゴールでした。
しかし今は旧駅手前に民家があり、完璧に辿ることは不可能です。
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弘南鉄道へ転換後、国鉄の駅は廃止され弘南側へ統合されました。それにより黒石線の線形も下の青線のように変えられました。
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青い線で1ヵ所、用水路を渡る部分にコンクリートの橋が残っています。
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さて、駅構内には思いっきり目立つ形で黒石線の遺構があります。
それがこの「黒石線研修所」または「検車庫」と書かれた建物です。
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弘南鉄道は電化していましたが、黒石線は転換後も非電化。つまり弘南線では電車、黒石線ではディーゼル車が走っていたため、黒石線用の車庫が残されたままだったんですね。電化・非電化の違いで車両や設備を共有できなかった非効率さも廃線の一因のようです。
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