祭りの楽しさの解像度
先日、僕は子供たちと共に四年ぶりに開催された「宮古祭り」に参加してきました。
人混みの中ビールはヌルくなりマズく、何を買うにも長蛇の列で不便極まり無い中。汗だくになりながらも場の空気はポジティブで確かな「楽しさ」がありました。
一般的に、失敗したときには反省し、何が悪かったかを考えます。一方で楽しいときには何も考えず『ああ、楽しかった』で終わってしまう。
楽しい状況の方がよっぽど深く観察・考察する価値があり、そこには何かしらの発見やヒントが隠れてるような気がします。
では何故祭りはこんなにも楽しいのでしょうか。
祭りは昔の、祈り事が進化したものになるようで、自然と祖先や神様に感謝し、生きることを喜び、コミュニティを育てるために行ってきたのがお祭りです。
まず、祭りは人間の本能を刺激する。
我々の祖先が集団で踊り、火を囲んで歌い、共同体として生き抜く力を育んだエネルギー。
祭りの音楽は鼓動のように私たちの心を揺さぶり、古い記憶を呼び覚ます。それは一瞬、自分たちが大きな存在の一部であることを実感させるように思います。
また、日本人のお祭りに対する思いを理解する上で重要なのが、「ハレ」と「ケ」の概念。「ハレ」とは「非日常」、「ケ」は「日常」。祭りは「ハレ」であり、非日常を存分に楽しむ事で「ケ」をリセットする重要な役割があります。
人は、この「ハレ」の日が来る事に心を踊らせ、「ケ」の日常の生きる活力の源としているのです。
人間の人生は長いようで短く、
その中でも特別な瞬間は数えるほどしかありません。その特別な瞬間を存分に楽しみたいというのが人の本能では無いでしょうか。
次に子供だけじゃなく、大人も存分に楽しめるのは「懐かしさ」を湧き立たせられるからでしょう。
その日は一瞬で時間が巻き戻され、子供の頃の自分に戻ったような感覚が蘇り。あの頃、何も知らずにただ祭りの楽しさに身を委ねていた自分を思い出します。
そして最後に、「五感」が研ぎ澄まされる。祭りの風が肌を撫で、音楽が耳を揺さぶり、何かがを焼かれた香りが鼻をくすぐる。そして、舌を楽しませるのは屋台の料理。これら全てが一つに結びつき、五感を通じて我々は祭りを全身で感じるのです。
「祭り」は、私たちが深く結びついている人間の本能を引き出し、懐かしい記憶を呼び覚まし、五感を刺激する。これら全てが絡み合い、深い「楽しさ」を生み出す。これは私たちが人間であることの祝福であり、生きる喜びそのもの。祭りの後の静けさは、それらの感覚が余韻となり、長く私たちの心に残るのではないでしょうか。
それではまた来週。
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