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#65 千里の道も計画的に

本日も1時間ほどウォーキング。
黒Tシャツに黒いパンツに黒いキャップを被り、黒いアームカバーを装着。
常にこんな格好ではないのだけど、たまたま引っ張り出した服を装着した全身黒色だった。
(スニーカーは黒ではないので「黒ずくめ」には一歩届かない。)

気づいたのは玄関の姿見に映る自分を見たときで、
「まっくろくろすけ・・・」
と声が出た。
着替えるのも面倒だったのでそのまま外に繰り出したのだが、道中のカーブミラーで確認すると、思いのほか黒いので、夜だったら迷惑すぎるなあとぼんやり考えていた。

(カーブミラーって買えるんだ・・・。ちょっと面白いからほしいかも)



今日は曇り空で助けられたが、これが昨日だったら紫外線から守られてよかったかもしれない。

待てよ。
夏、外を歩くときって何色を着るのが最適なんだろうか。
紫外線から身を守りたいのならば、紫外線を通しにくい黒だろうけど、見るからに暑苦しいし、実際暑くなるよね。
熱中症予防に黒い服は着ない方がいいとも言うし。

上の記事読んだけれど、やっぱり白が一番いいんだね。
でも膨張色って着たくないんだよなー。
まったく気にせず着れるようになるまで、ウォーキング頑張ることとしよう。


何はともあれ、私は歩くことが好きだ。

ウォーキングをしているとドーパミンがドバドバ出て、何を勘違いしたのか、
「何キロでも歩けるんじゃないか!?」
と感じてしまうことがある。
実際、どれくらい歩けるのか、限界に挑戦したことがある。


さかのぼること大学4年の春。
あと少しで卒業を控えたころだった。

「岩手県って3日くらいあれば徒歩で縦断できるのでは・・・?」

最高に頭の悪いことを思いつき、最県南の一関市からただただ北を目指して歩いたことがある。

卒論に目途が付き気分が最高にハイになっていた私は、一緒に歩いてくれる仲間を募った。


当時のLINEを見返したらびっくりするほど引かれてる。
ここでいう「惑星」さんだけ付き合ってくれた。
※ただの被害者である。

春とはいえ、北国を舐めてはいけない。
道路はシャーベット状の雪が残り、とてつもなく歩きくい。
というか、それ以前に寒い。
そんなこと一番わかっているはずの私たちだが、一番舐めていたのも同じく私たちだ。

「岩手って縦で150キロくらいだよね?1日50キロ歩けばいいわけでしょ」

「50キロだと盛岡から北上ぐらいかー。車だと1時間くらいだし楽勝じゃね」

「じゃあ3日くらいでいいね」

「いいねー」

全くよくない。

盛岡駅のスタバでフラペチーノ片手にこんな会話で盛り上がれるなんて、私たち、とても幸せだったんだな・・・。


さて、実際にやってみてどうだったのかと言うと、結論から言って1日目でギブアップした。

まあ、そりゃそうである。

普段からバリバリに歩いているならまだしも、卒論執筆のために図書館やら研究室やら自室やらに引きこもる日々が続いていた私たちには、到底成しえぬことだった。

ただただ悪路をゆく苦行を己に課し、12時間ほど歩き続け、終盤は精神がおかしくなり「靴を履いたイエティ」という全くわけのわからぬ物語を作り、げらげら笑っていたことは覚えている。

しかもなぜか、迷いようがないのに途中で2時間ほど道に迷うという・・・。
ナビがあってよかったが、ナビがあるのならなぜ迷うのかという疑問が私たちには残りもした。

結局歩けたのは本当に50キロほど。
(迷った分も合わせるとプラス10キロほどだろうか・・・。)
次の日もいけるのでは!?と思ったが、ひどい筋肉痛としもやけに音を上げ、
「これは無理だね!明日はいっぱい寝よう!」
と潔く諦め、こんこんと眠り続けた。

寝る前に、友人が
「次はもっと歩きやすいときに、絶対にリベンジしようね・・・。」
と恐ろしいことを言った気がするが、私が見た夢であったに違いない。


なんだか書き起こしてみると、本当に馬鹿らしいことをしたなあと思うのだけれど、これもかけがえのない学生時代の思い出。
一緒に歩いた友人とは久しく会ってはいないけれど、連絡を取るたびに、

「あのときのさあ・・・」

と話題に上がる。
共通認識としていい思い出だったのだろう。
あの時のような無茶で無駄な遊びは、大人になった今でもたまにやりたくなってしまう。

そこで編み出したのが「絶望ゲーム」というゲームなのだが、これについては後で書けたら書こうと思う。


あ、そうそう。
あのとき、寒さに凍えながら見つけたラーメン屋で食べた味噌ラーメン。
あれは間違いなく人生で一番美味しい味噌ラーメンだった!






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