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僕の彼女は障害者#12

僕も仕事を休職して彼女のサポートを始めたころ。
長い目で治療を続けながらいくけれど、どれくらいの期間がかかるのか不安ばかりが頭を巡っていた。
僕も仕事を休職して、心身を整えて行きたい。
そのためには彼女の状況の改善が絶対に必要だった。
どうしたら良いのか?
一人でずっと考えていた。
一人で涙することもあった。

共同生活をスタート

当初のサポートはそれぞれの家で大丈夫だと思っていたが、彼女からのLINEや電話が多く、そして自殺観念もあったことから同居する道を選んだ。
一緒にいる間は落ち着いて過ごすことができる。
泣いたり暴れたりすることもあるが落ち着いている時間も作れていたのでこの生活感で基盤を作っていこうと考えていた。
収入は傷病手当があるし、当面は生活することも大丈夫と考えての計画だったので予定通り。

パーソナリティ障害の要素

同居を始めて感じたことだが、自分の思い通りにいかない出来事への対応が酷い。
とにかく、暴れる・ものを壊す・他害をする・自傷をする。
鬱病とはこんなにも攻撃性が高くなるのか?とびっくりした。

ある日、夕食にはんぺんチーズを調理してくれていた時のこと。
フライパンで焼いていたら片面が焦げてしまった。
すると、「もうこんなの作らない!!!!」
フライパンごとゴミ箱へ捨てた。
そして塞ぎ込む。
(どんな心理状態だったのか、本人が一番苦しかっただろう)

言葉がけで少しでも嫌なものがあると暴れる。
僕が夕食の時にお酒を飲んだらその後に寝てしまった。
「もう私のことなんてどうでもいいんだ!!!!」
ゴミ箱やテーブルをひっくり返して、本や書類を投げている。

気晴らしにと旅行に行った時も
同じ様なことで彼女は彼女の服を私に投げてきた。
我慢の限界だと思い厳しく注意をした。
「自分でやったものは自分で片付けなさい!」
すると彼女は
「謝ればいいんでしょ!!!」と言って裸になり土下座を始めた。
(後で冷静な時に聞くと、父親に叱られるとこんな状態だったらしい)
#児童虐待だよ (涙)

主治医との信頼関係

主治医にはこれまでの状況を伝えてきていたがなかなか納得できる様な進展がなかったことで、私たちも不安感を募らせていた。
パーソナリティ障害の言葉も出てこないし、鬱症状だけで治療を勧められている。
僕としてはセカンドオピニオンとして違う精神科での受診も必要かなと思っていた頃。
彼女から、「違う病院でも診てもらいたい」と希望が出てきた。
今の病院では臨床心理士の女性がカウンセリングも行っていたのだが、そのカウンセリングで話すことが苦しかったらしい。
本人にどうやって他病院を勧めるか悩んでいたところだったので、本人の希望通りに他院を探すことにした。
ただ、本人が選んだ病院じゃないと彼女の特性上後で「変な病院を選んだからこうなったんだ!!」と責められかねないので任せることにした。

そして、次の病院で出会った若い女医(T先生)さん。
この方との出会いで彼女の治療方針が明確になり、信頼関係も作ることができた。
そして何より多くのことを受け入れてくれたT先生。
否定されることが極端に苦手な彼女がやっと見つけた安心できる先生。
ここから彼女の治療が飛躍的に進んでいった。そんなイメージ。

継続12日目
ご覧いただきありがとうございました。
とにかく毎日書き続けることが目標です。
内容も拙い文章ですが、書くことで自分の思考の整理になっています。
「継続は力なり」
毎日続けることで何か自分に新しい力が湧いてくると感じています。

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