ラオス暴走日記2010 Vol.1 〜旅立ちと出会い〜
※過去日記の転載です
2010年9月23日
11:00 成田空港発。
海外旅行に行くときはいうも、成田に行くまでになんだか行きたくねーなー、となってしまうのだが、今回はそれほどテンションが落ちなかった。
日本で単車を売ってしまったことが原因の一つかもしれない。
やはり単車がないとどうにも元気が出ない。
ラオスという未知の土地を単車で走り、誰も見たことのない景色を見に行くぜ、ってな感じで、高揚感があった。
ちなみに、私は目から涙を流すようなことは滅多にないんだが、機内で見た「カラテキッド」で、なぜか涙が...。
しかも、序盤、中国人の集団がカンフーの練習をしているところを主人公が目撃するという全く感動も何もないシーンで。
恥ずかしいのであくびをしたふりをし必死にごまかす。
意味不明。
そして変換プラグを忘れたことに気づく。
16:30、タイ・スワンナブーム空港着(ここより現地時間)
とりあえず夕飯を食べようと思い、軍人のような服装で、黒い袋に入れた三線を手に食堂へ向かう。
周囲の目が痛い。
そして英語が全く出てこない。
指差しと「this one」でどうにか注文。
つーか物価たけぇ!この汁無しそばと肉炒めとビールで1400円!
どうなってるんだタイ。
そして、空港で変換プラグ買ったが、5000円!
機内販売で$37だったのに...。
自らの旅行者としてのスペックの低さに大いに落ち込みつつ、Vientian行きの飛行機を待つ。
すると、ギターを弾いている白人を発見。
リハビリも兼ねて、三線を持って話しかけに行ってみる。
イスラエルからラオスへ一人旅に来たそうで、Nirというそうだ。
三線にも興味を示し、色々と説明しようとするが、自分の口から出る英語のたどたどしいこと...。
22:00、Vientian着。
ラオスではもはや深夜に近い時間だろう。
Nirと荷物受け取り所で再会し、流れで一緒に市内までタクシーで移動する。
ロンリープラネットで調べたというNirおすすめのゲストハウスは、まあまあきれいでエアコン付き、ツインで$18。
ゲイじゃねーだろーな...。
そんなわけで、我々は夜のVientianをちょいとブラブラしに行くのだが、その静けさはとても一国の首都とは思えないくらい。
ドイツ人経営のいい感じのバーを発見し、Nirといろいろ話をする。
彼は26歳、大学で経済学を勉強中とのことなのだが、なぜか話題は戦争やら国際情勢やらの堅い話に。
旅行ガイドの注意書きなどには、外国人に戦争や宗教の話はタブーだとしばしば書いてあるが、裏を返せば、我々のそういう方面への知識の貧困さが原因なのでは、とちょっと思ってしまった。
勿論、私自身もその一人である。
しかし、Nirの住むイスラエルには徴兵制度がある。
そして長い長い民族紛争の歴史がある。
日本の尖閣諸島問題を説明すると、そんなもんは世界中どこだって起こっているぜ、と、至極もっともな言葉が。
ただ、私がうれしかったのは、僕の祖父は戦争で潜水艦に乗って電気技師をしていたんだぜ、と言ったら、Nirが非常に興味を示し、色々とその話を聞いてくれたことだ。
ここで尖閣諸島問題について意見を述べるのは避けるが、中国人たちは過去の戦争の記憶を、
反日感情という形で体に刻み込んでいるように思える。
大学時代の中国旅行で、タメくらいの大学生に、
「この丘で昔中国と日本が戦ったんだ」
と言われた時のゾッとした感覚を今でもたまに思い出す。
ま、それがどうなのかっつーのは置いといて、少なくとも、私にとって重要なのは、身内に戦争を体感した人がいて、その生の話を聞けたというのは、とても貴重な経験だと再認識できたことだ。
てなわけで、初日から何か色々と考えさせられる出会いがあった。
そして、ラオスでは基本的に23:30を超えての深夜営業が法で禁じられているようで、僕らはゲストハウスに戻った。
ゲイじゃねーだろーな...ほんとに... 。
というわけで、襲われることもなく、無事にラオス初日は終了。
暴走は翌日から。
To be continued...