ラオス暴走日記2010 Vo.12 ~雨のラストラン~
※過去日記の転載です。
2010年10月2日
雨もだいぶ弱まってきた。
先ほどの現地人のおっさんに話を聞くと、どうやらこの先のPhonhongという村へ向かう途中とのこと。
そこには一応ゲストハウスもあるらしいので、一緒に向かうことに。
20分ほど並走すると、ほんとに小さな町に到着した。
やはりバッテリーの調子はよくないようで、
結果的にはここで止まってよかったかもしれない。
綱渡りをしているようなもんだ。
家に向かうおっさんに礼を言って別れると、
小さなゲストハウスにチェックイン、荷物を下ろす。
部屋はこれ以上にないほどに簡素だが、ホットシャワーが出るというのは助かった。
びしょ濡れになった服を着替えると、懸念のバッテリーを再充電してもらいにバイク屋へ。
これでどうにかVientianまでの150kmくらいはもつだろう。
19:00、小雨になったとはいえ、相変わらず雨は止む様子がなく、明日の天気が懸念されるが、まあとりあえずメシ食ってビール飲むか。
宿はレストランも含めて家族経営のようだ。
レストランっつっても、厨房が道に面している屋台みたいな感じ。
今のところ客は私一人だ。
一応英語のメニューもあったが、そのうちの大半が、今日は作れない、と言われてしまったので、ラオス最後のディナーは豚肉生姜焼きに。
ま、決してまずくはないけど、ちと寂しい感はある。
厨房で煮卵を作っていたので、作りたてのやつを食ってみた。
黄身がほくほくしてなかなかうまい。
そして、厨房で料理をしている娘さんたちが素朴でいい感じだったので写真を撮ろうとしたのだが、相当シャイらしくこんな写真しか撮れなかった。
みんな良く働く子たちだった。
私も見習わなければ...なんてことは特に思わなかった。
ビールを飲み、三線を弾きながら行き交う車を眺める。
ラオスのメインロード、国道13号線。
深夜だというのに車が絶えることはない。
特に目立つのは、どう考えても積載量オーバーと思える程に物資を満載したトラックと、同様に乗客を満載した大きなバスやピックアップトラックだ。
こんなのが毎日絶え間なく走っていたら、
道路にボコボコ穴が空くのも当然か。
そして、首都Vientianから150kmのこの町も、おそらくは北へ向かうトラックなどの休憩所としての機能があるようで、しばしば車やトラックが止まり、メシを買ったり、フーを食べたりしている。
しかし、13号線が舗装され、日本をはじめとする外国から性能の良い車が輸入されている今、徐々にその機能も失われつつあり、この宿に泊まる客もどんどん少なくなっているのだろう。
これもラオスの急速な発展の副産物と言えるのかもしれない。
なんて思っていたら、新しい宿泊客が来たようで、私の三線に興味を示しているので、ちと弾かせてみた。
シャイなラオス人にしちゃ陽気なやつらだ、と思ったらベトナム人とのこと。
観光かビジネスか聞き忘れたが、タイやベトナムの周辺国からすると、ラオスはまだまだ田舎だ。ビジネスチャンスも多いのだろう。
とりあえず記念写真。
ちなみに左足の様子はこんな。
酒とか飲んだらいかんよ。折れてるよ。
明日は遅くとも10:00くらいにはVientianに戻り、バイクを返しつつみやげも見つくろわなければ。
つーことは、まあ雨の可能性も考え、8:00には出発したいところだな。
かくしてラオス最後の夜は地味に過ぎていき、
明日早起きするためにも、さっさと寝ることにした。
しかしながら、寝ようとしたらなぜかとんでもなく鬱になってしまい、
全く眠れないというトラブル発生...。
私は海外旅行の時も含め、普段そういうことはほとんどないのだが、年を取ったか。
つまらんので詳しい内容は避けるが、なんつーか、こんな無茶ができるのもせいぜいあと10年、その後はオレも年を取って、徐々に体も動かなくなってしまうということ、新しい物を得ることよりも、失う物が多くなっていくんだろうということ、そして、時間を逆に回すことはできないということ。
そんな自明の論理が、僕にまとわりついて離れなかった。
2010年10月3日
ろくに眠れないまま、6:00にセットしたアラームが鳴る。
外に出てみると、相変わらず小雨がパラついている。
よりによってラオス最後の日に雨の中をバイクで走るハメになるとは、よくよく私も運がないってもんだ。
こんな時はメシを食うに限る。
朝食は恒例のフー。
生野菜が付け合わせ一皿出てきた。
牛肉もたっぷり入ったフーは、やや薄味だったがうまかった。
世話になった宿のおばちゃんに別れを告げ、
7:45、いよいよVientianに向けて雨のラストラン。
しかし、すぐに雨足が強くなる。
最悪の状況だが、今日ばかりは雨宿りしている暇はない。
バッテリーは虫の息、息切れしないうちに一気に駆け抜けたい。
ウインドブレーカーとザックカバー、そしてサングラスとバンダナで顔を守り、完全武装で再出発。
気合いを入れて走ったおかげで、雨にも関わらず150kmを1時間半かからずに走破(時速何kmだ)。
9:00、無事にVientian到着。
Juleの店にバイクを返しに行く。
事故ったのを悟られるとめんどくさいので、
なるべく脚を引きずらないように気を使った。
ま、しかし幸いにしてバイクには傷らしき傷はついておらず、なくしたゴーグル、勝手に交換したミラーも含めて、特に追加料金は取られなかった。とりあえず一安心だ。
店には、2泊3日の短い休暇を取ってバイクでVang Viengに行くというオーストラリア人の教師がいたが、アイドリング中にエンストしてしまうとのこと。
エアスクリューの調整が必要なんじゃねーかなとアドバイス。
ちなみに、この店の整備状態はあまりよくないので、ラオスでバイク旅行を考えている方、お勧めしません。
さて、バイク屋に荷物を預け、日本への土産を求め、Vientian最大の市場、タラート・サオへ向かう。
バイクを置いて歩き出すとすぐに「トゥクトゥク!」と声がかかる。
が、一応自分の主義を貫くべく、足を引きずり徒歩で。
んで、タラート・サオなんだが、マジでろくな土産がなかった...。
隣国のカンボジアの方がはるかにマシだったぜ。
しょうがねーから、小物をいくつか買って、あとはラオスのお茶を大量に買い込み、お茶を濁すことに。
うまいこと言ったわけではなく、事実この通り。
気疲れしたので帰りはトゥクトゥクに。
思えばこれがラオス初トゥクトゥクだな。
そして、荷物をピックアップし、いよいよ空港へ。
トゥクトゥクで行こうと思ったら、同じ金額で車に乗せてやる、というおっさんがいたので、快適かつ速い車を選択する。
おっさんは日本びいきの気のいいやつだった。
最後にこういう人に会えてよかった。
あとは空港で700円でスシ付き(とびっこの巻物)のバイキングに行ったり、バンコクで7時間待ったり、あの服装のまま会社に出社したり、病院に行ったら腓骨が折れていたり、まあいろいろあったけど、ラオスの日記はこれにて終了。
まとめというか総括もしたかったんだが、書きたいことはほぼ日記に書いてしまったので割愛。
ま、改めて思うけど、いつまでこんなバカを続けていけるのか...。
たまには自分の旅行記を読んで、自分のバカさ加減を振り返ることにしよう。
お付き合いいただきありがとうございました。
See you next!!
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