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ラオス暴走日記2010 Vol.7 〜痛みと孤独の中で〜

※過去日記の転載です

2010年9月28日

足が痛くて目が覚める。
こんな感じ。腫れてますな。

足が動くことは動くので、折れていたりということはないだろうとは思うが、一晩経てばマシになるだろうと思っていたので、テンション低下は避けられない。
やれやれ。

8:30、朝飯を食べに行くと、バイキング方式のようだ。
しかし、およそ金がなさそうな服装だからか、
ウエイターがさっぱり相手にしてくれない。
むかついたので自分で卵焼いてたら、さすがにやってきて作ってくれた。

周りはツアー客と思われるフランス人ばかり。
一層孤独感が強まり、さほど食欲もわかなかったので、さっさと食って部屋に戻る。

いったい私は何をしにこんなところまで来たのだろう。
一人になりたくて、誰も見たことのない景色を見たくて、無茶したあげくがこの始末だ。
ほんとに一人ぼっちになってしまったことを今更ながらに実感する。

旅へのモチベーションを失いかけ、ベッドでiPhoneをいじる。
メールを見てみると、仕事関連のメールに混じって、事故のことを心配してくれるメールがあった。
そして、こんな旅ができるのがうらやましい、というようなことも書いてあった。

なるほど、私は今一人ぼっちだが、少なくとも日本に帰ったら旅の話を聞いてくれる人がいる。
おもしろいと思ってもらえるかは別として。

そして、私の旅にはまだ4日も残されている。
こんなところでくすぶったままこの旅を終わらせられんと改めて思う。

9:30、ちとやる気を取り戻し、痛む足をかばいながらシャワーを浴び、どうにかパッキングを終え、チェックアウト。
エンジンもどうにかかかる。

まずは、一応再度病院に行っておこうと思い、昨日のインターナショナルクリニックへ。

レントゲンの結果が出ていたようで、医者が4人くらい集まって写真を見ながらあーだこーだ話し合っている。

最初のやつは、靭帯が切れているからオペが必要だ、なんて言っていたが、最終的には昨日の女医さんから、とりあえず骨と靭帯は大丈夫そうだ、みたいなことを言われる。
英語だからよくわからんが。

よく分かったのは、

「Don't move, if you ride a motorbike, your leg will be bad.」

という言葉だ。ごもっとも。

そのありがたいお言葉を頭の片隅に追いやり、北へ戻るべく、壊れたミラーを修理する。

さーて、再び冒険の始まり!

左足が痛くてギアチェンジがややしんどい。
なるべくクラッチを使ってトップギアを維持したまま走る。
トルクのあるバイクでよかった。

とりあえず順調に進むが、途中、またいらぬ探検心がわき起こってくる。
ちょっとだけ寄り道しちゃおうかなー。

昨日の事故が頭をよぎるが、逆に、事故のせいで未舗装路に苦手意識がついてしまうのも嫌だったので、今のうちに解消しておく必要がある、とよくわからん理由で自分を納得させ、ほんのちょこっとだけ脇道にそれてみる。

ちょっと進むともうこんな感じ。

正直どこに向かっているかはさっぱりわからん。

上天気の中、ゆっくりとバイクで小さな道を進んでいると、やっぱ旅っていいなって再認識。
しばらく進むと学校発見。

ちょうど授業が終わったようで、帰宅する生徒たちの、好奇心と警戒心が入り交じった視線が。

そしてさらに奥へと進む。めっちゃ田舎だ。

そして、さっきのよりももっとでかい学校を発見。
こんなに小さい村なのに、立派な学校だ。
外国からの支援の賜物だろうか。
この元気な子どもたちが未来のラオスを作っていくんだろうな。
少子化が進む日本の未来はどうなっていくんだろうか。

そのまましばらく走ると、どうやらぐるっと回ってきたようで、国道13号線にぶつかり、ここでプチ冒険タイムは終了。

13:30、走り続けること4時間、さすがに疲れてきたので、この辺で昼飯を食うことに。
近くに大きな町は無さそうなので、Beer Laoの看板を頼りに小さな食堂へ。

英語は全く通じないので、拙いラオス語で豚肉チャーハンを注文。

これは当たりだった。
うまい、とラオス語で言うと、笑顔に。
うまいメシと素朴な笑顔が僕のガソリンである。

しばらく走ると、途中事故を発見。警官がちゃんと仕切っている。
他にも検問をやっていたりと、カンボジアと違って警官が真面目だ。

16:30、ようやくThakhekに到着。
メコンホテルというまたもやちょっといいホテルにバイクを止めると、私の他にもXRが4台止まっていて、一人の白人がこちらをチラっと見て、XRに乗ってどこかへ走っていく。

泥で汚れているところを見ると、山の中を走ってきたんだろう。
私もこういう旅をするはずだったんだがな...。

いざ泊まろうとすると、フロントのねーちゃんがあまりに愛想悪かったので、近くの安宿へ。

疲れた...が、そんなに嫌な疲労ってわけじゃない。
足を引きずり、メコン川沿いの屋台で夕日を見ながらメシにする。

ラオス風焼き鳥、ピン・カイを食べる。タレに漬け込んだ鶏を丸ごと焼いた物だ。

ま、今日は頑張ったし、ビール飲んでもよかろう。
どんな判断だ。

ビール飲んで三線弾いてまったりしていると、
さきほどXRに乗っていた白人チームがやってきて、ビールを注文している。

正直カンボジアからこの旅にかけては、白人には苦手意識があったのだが、ほろ酔いでいい気分だったので、「Hi, Where are you from?」と声をかけてみる。

おまえは英語がしゃべれるのか、と大いにびっくりされ、色々話してみる。
お互いバイク旅行という特異な体験をしてきたからなのか、なんか意気投合する。

しばらくすると、オレの仲間を紹介するよ、ということで、携帯で電話。

今日本人と飲んでるからみんな連れてこい、なんとこいつは英語がしゃべれるんだぜ、なんつー話をしている。

私は決して英語がうまいわけじゃないんだが、
日本人は英語をしゃべれない、というイメージが強いようだ。

ほどなくして次々と屈強な白人たちに囲まれる。
うーむ、こいつらに比べると私が子どものようだ。

どんどん酒も進み、そこらにいた白人の女子も連れて近くの焼き肉屋に。
彼らはアメリカ人とカナダ人だが中国に住んでいるとのこと。
なるほど、それで僕のようなアジア人に親しみがあるのかもしれん。

XR4台、車1台で6人で旅をしているそうだが、
そのうちの一人、Darrenは途中でコケて背中を痛めたそうだ。

アホが私一人じゃなくてよかった。
でも、彼らが言うには、オレたちはチームだからトラブルがあっても助け合えるが、おまえは一人じゃないか、なんてクレイジーなんだ、日本人にそんなクレイジーなやつがいるとは信じられん、だってさ。

ま、私もそう思う。

シン・ダートと呼ばれるラオス風焼き肉はセルフ式で食べ放題。

私がすき焼き風に肉を生卵に浸けて食っていると、よくそんなもんが食えるな、と驚かれる。
日本じゃ卵は生で食うのがスタンダードだぜ、ヘビみてーだろ、と言うと、じゃあこれからおまえをコブラと呼ぶことにするよ、とのことで。

腹もいっぱいになったところで、ペタンクというフランスのゲームができるところに行く。
もちろん酒も出てくる。野外版ダーツ・バーみたいなもんだ。

金もかかっていないのに、みんなガキのように熱くなっている。

こちらはまったり観戦組。

ケガ人とは思えない笑顔だ。

この後、写真手前のDarrenと、ラオス人のオーナー3人でいろいろ話をする。
Darrenがしきりに聞いていたのが、ラオス人はアメリカをどう思っているんだ?
昔アメリカはラオスに爆撃したじゃないか、恨んでいないのか?ということ。

ラオス人は、たしかにそんなこともあったが、今はそんなことは関係ない、と話すが、Darrenは食い下がる。

おい、本当のことを言ってくれよ、オレはラオス人の本音が聞きたいんだ、と。

ラオス人曰く、確かに老人はそれを覚えている、しかし、若い世代はそんなことは関係ないさ。

おいTomo、日本人はどうなんだ、と聞かれるが、同じアジア人として、ラオス人の言うことは何となく分かる。

アメリカが原爆を落としたことでアメリカ人を恨んでいるのは、家族が直接被害にあったり、戦争を知っている世代、あとはそういう問題に敏感な人くらいじゃなかろうか。

若いやつでそれが理由でアメリカを恨んでいるやつなんてそうそういないんじゃないか。

ま、日本はアメリカと戦争してたしね。
ラオスみたいにベトナム戦争のとばっちりを食って爆撃されたのとはちと違う。
落とされた爆弾の種類も違うけどさ。

しかし、Darrenよ、中国に住んでたら分かるだろう、中国は違う。中国の若いやつら(どれくらいかはわからんが)は世代を越えて太平洋戦争時の日本のイメージを持っている。
今後、そんな意識を違いを抱えながら、日本と中国の国交はどうなっていくのか。

ま、最終的にはアメリカ、ラオス、日本っつーのは置いておいて、オレら3人は友達だっつーことで。

そんなわけで、ラオスに来てから一番にぎやかな夜が終わる。

To be continued...

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