9.24 中途半端のなかにある
部屋にこもって、日中はYoutubeとインスタとtwitterと電子書籍アプリを永遠にさまよった。Xなんて呼び方にはまだ慣れない、慣れたくない。1週間前到着した新しいおうちでは、ひとり一部屋が割り当てられた。部屋にあるのはベッドと洋服棚、少し大きなかけ鏡だけ。必然的に部屋の中にいれば、その時間のほとんどをベッドの上で過ごすことになる。気づいたらうたた寝をし、1時間くらいで目が覚める。スマホを見て時間を確認し、意図しない時間の浪費がそれほどではなかったことに安堵すると同時に、意識を持っていたってどうにもならない時間のなかにまた放り出されたことに憤る。自分勝手なやつだなと思う、本当に。
なにを見ても、心が凪だった。本を読んでさえ、どこかしっくりこない。すべてがきれいごとにみえる。だってなぜかここ数日で読んだ本すべてが苦悩を乗り越えてハッピーエンドを迎えるんだもの。すべてを拒否したくなるほどの絶望になかにいるわけでもなく、じゃあすべてを信じることができるかと言ったらそうではない。中途半端にただベッドの上で進むお話に誰も興味はないことなんてわかっていたけど、つくられた物語でさえ、こんな半端なものは救いようがないって置いていくんですか。優しくなさすぎやしませんか。いあやこんな期待をしてしまっていた自分が悪いんだ。期待をすることはあまり良い結果をもたらさないって最近ようやく気付いた。
1週間前、自分が自分で言った言葉に苦しめられている。なんでそんなにあなたは愛されるの?って聞かれた。その自覚はあった。自分でも不思議なほどに人から大切にしてもらえるんだ。人を愛するっていうのは具体的にどう行動したらいいかよくわからなくても、なぜか人からは確かに愛されてると、そう実感することが多い。「人が好きだからじゃないかな」と答えた。みんなのこと好きなんだよね、大好きだと思うみんなから、愛されている、そんな気がする。そう答えた。すごくすごくしっくりきた回答だった。今でもそう思う。だけど、裏を返せば、疲れたからひとりになりたい、とか、与えるのではなく与えられる恩恵にあやかろうとしているうちは、一生部屋でひとりなんだ、って。いやあ最悪だな。正直すべて投げ出して日本に帰りたいなんて思っているのに、なにをどう頑張れって言うんだって誰に吐き捨てたらいいかわからない不満がたまっているのに、結局は自分からこの体を外へ無理やりにでもひっぱり出さなければ何も始まらない。
ゆっくりでもいいかもよ、と母に言われた。ごめん、正直いつも母がくれるアドバイスにはどこか納得できないことが多くて、だからこんなにもその言葉に涙がでるなんて思ってなかった。何も間違ってないんじゃないか、そのままで、って肯定されたかったらしい。単純だ。自分がどこに向かっているのか、いきたいのか、何を求めているのかよくわからなかった。その現在地を肯定されることが、もしかしたら、というか確実に意味はないだろう。だけど中途半端にさまよっていた心は、とりあえずここに着地した。母の前では子どもだった、いや基本的に友達のまえでも子どもっぽいけど。
怖いです本当に。バンクーバーに帰りたい。日本に帰りたい。私が肯定された、なんて書くと甘えのようで嫌だけど、そうなんだから仕方ない。無理せずとも肯定されたあの場が、どうしても恋しくて仕方がない。なんて自分に甘いんだろう。でも、ゆっくりとスタートした先にどんな半年後が待ってるかなんてわからないから。なにかが起きる前のほうが不安で恐ろしくなることがほとんどだから。ひたすらに、嵐が過ぎるのを待っている。この風を嵐だと思い込んでるのは紛れもなく自分自身だということもわかっている。
これを書いたところで、この土日死んだように過ごしたってのは変わらないし、明日の目覚めに対する希望が生まれたわけでもない。わからない、何もわからない。いいもわるいもわからない。なんの意味を持つかわからないため息が出るだけ。だけどそのわからないをここで書いたことで、このわからないは、少しだけ私から距離をとった。洗濯物をたたもう。シャワーをあびよう。お皿を洗おう。
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