2.26 わたしのたもちかた
自分 対 世界 でみると、本当にそこに自分がいるのか、疑いの気持ちが果てしなく続く。自分の存在を自分自身で確認できるほど、まだ私は強くない。だから、誰かひとりでも、無限に広がる世界じゃなくとも、小さな小さな、だけどしっかりと色と温度と形のある誰かの世界に自分が存在していることを見つけられたとき、あたたかく泣いている。静かに、喜びとともに。
きみはそこに、いるよ、とそうやって手を差し伸べられた日は、その手を握りしめて立っているんだけどね、気づいたらその手をまた自分で離しているんだから、そんな自分が嫌になってしまうね。
ひとりだとふらふらと揺らいでしまう、弱々しい姿を蹴り飛ばしてしまいたい、だからずっとずっとひとりで立つ練習をしているつもりだったけど、だけど何度もこけては座り込んでいる。ながくながくまっくらで、先にあるはずの光がみえない日は、こんなにも涙がにごっているんだということを、はじめて知った。
次の1歩の出し方なんて考えずにただうずくまっている、いま、かすれた声であれ、なにか合図をだすことができれば。こぼれたものを掬い上げる、そんなきみはそこにいる。だからひとつだけお願い、今回もまた、手を握っていてほしい。
まだ、あきらめがつかないから、もう少しだけひとりで立っては転けることを繰り返してみることにした。その度にするお願いは変わらないと思うけど、いつか強くいられる日がきたときは、私にできる全てで還していくと約束するから。きみを通して世界をみる、ゆらゆらと揺れることを選ぶ日がくれば、そのときはどうかそこで全てお見通しって笑っていてほしい。
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