特別じゃないわたしたち
なんてことない旅をする
21歳の誕生日、お母さんから誕生日プレゼントとしてもらったのは、NORTH FAITHの赤いバックパック。旅人に憧れ、少しずつ自分の住む町から遠くの町へと足を運ぶ回数が増えてきた私にとって、そのバックパックは自分の旅人レベルをあげる "装備" のようなものだった。
まあ正直、なんでも形から入るのが好きだったし、何度遠出をしても持っていく荷物の量が減らせず、大きなバックパックを買ってもらったっていうのが真実なんだけど。
そうは言っても、実際この赤のバックパックを手に入れてから、私の旅はさらに加速したように思う。
1か月半、気の向くままにいろんな場所を訪れてみたり
大学の授業やバイトと並列で、毎週末広島に通ってみたり
意味のない話で大笑いする年末を大阪で過ごしてみたり
大好きなひとの個展やライブをきっかけに、知らないまちを歩いてみたり
ヒッチハイクでたくさんの人に助けてもらったり
本当に収まりきらない。
出会って、語って、ときには語らず肩を並べて、ご飯を一緒に食べて、一緒に寝て、歌って、踊って、笑って、泣いて、また笑っていた。
旅の定義はひとそれぞれで、その過程でどんな過ごし方をしていようが、その人が「これは旅だ!」と言ったらそうなのだと思う。
私だって確固たる信念を持って旅を始めたわけじゃないし、今でもそこまで強いこだわりがあるわけじゃない。
だけどやっぱり、これだけ移動をしていれば、なんとなくその移動中・移動先での過ごし方にも私の癖が出てくるようで、それをあえて言語化するとなれば、それは「特別じゃない日々」なんじゃないかと思う。
基本的に旅先ではシェアハウスだったり、友だちの家にお世話になる。たまに泊まるゲストハウスも、そこに会いたい人がいるとか、そんな理由ばっかりだった。ひとりで旅するの?ってよく聞かれるけど、移動はひとり、着いた先で誰かと過ごす、っていうとても一人旅といえない過ごし方が大半。
そこですることも、一緒に買い物に出かけたり、散歩したり、料理をしたり、ご飯を食べたり、夜更かしして話したり。きっと日本中、世界中どこを見てもすぐ見つかるような、誰かとともに過ごす時間の過ごし方。
わざわざ旅先ですることかと思う人もいるかもしれない。だけど私はこれが好き。この時間がすごくすごく好き。
大切な、大好きなひとたちとのなんでもない時間のために、私は旅をするような気がしている。
非日常
2022年夏、わたしはザンビアにいた
家族旅行と高校の修学旅行でしか海外を経験したことがなかった私にとって、自分で選択した初めての海外
旅するエンターテインメント集団LES WORLDの主催するワークショップへの参加がザンビアへ来た理由だった。LES WORLDは海外の孤児院やスラムの子どもたちとミュージカルを共創する活動を行っているNPO法人。ザンビアでは10日間でストリートチルドレン保護施設の子どもたちとミュージックビデオをつくることになっていた。
初めてのアフリカ。英語が通じるとはいえ言語の壁があって、文化の違いに戸惑うことも多い。なにより、少年たちのストリートチルドレン時代の話を聞きながら、それをミュージックビデオを制作する過程で昇華していく、という日々は圧倒的な非日常だった。
子どもたちの過去を聞いて溢れてくる涙はなかなか止められない。なんて声をかけたらいいかわからなくなる、そんな過去があっても強く生きる子どもたちの言葉がさらに私の涙腺を緩める。そしてその想いをきいたうえで臨む歌やダンスの練習、絵のワークショップ。笑いながら、ときには真剣な表情で、取り組む彼らとともに過ごせる幸せを心から感じる。お互いに感謝を伝えて迎えるミュージックビデオ撮影本番、そして上映会。奇跡のような時間のうえでできあがった作品をみて、ああ、幻じゃなかったんだなと実感する。
特別な日々
わたしにとって日常が重なっていく旅とはまた違った景色のなかを走り抜けているような時間だった
特別じゃない
ザンビア滞在最終日
非日常の終わりに、何を思うのか、と
ずっと不思議だった
経験したことのない特別の連続が終わる直前、そしてその瞬間
なにを考えるのだろう
ザンビアの子と日本人メンバーと3人で話していた時、ああ、ここで奇跡が起こったんだなあと、その景色を思い出そうとして、視線を遠くへ向けた
2週間前に出会ったザンビアの子どもたちと日本人がサッカーをして遊んでいる。座って話している。走り回ってじゃれあっている。
あまりにも自然な光景
どこにでもある普通の光景
なにも特別じゃない日常の光景
はっとした
確かに私たちは、お互いの過去を話して涙を流したし、それを昇華した先にあるものを、ともに経験した。間違いなく私たちだけの特別な毎日だった。
だけどその特別と特別のあいだを埋めるものは別の特別な時間ではなくて
走り回ってサッカーをして、冗談を言ってからかいあって、作ってくれたご飯を食べて、いっしょに洗濯物を干して、掃き掃除をして、趣味の話をして、たくさん写真を撮りあって、歌をうたって、星を眺めて、朝になればいっしょに鳥の声に耳を傾ける
どこにでもある、ふつうの、わたしたちの毎日だった
肌の色がちがう、生まれた土地がちがう、
育ってきた環境がちがう、話す言葉がちがう
ちがうことが多い気がしてしまう私たちだけど
そんなことはつい忘れてしまう、小さなことだった
世界中探せばどこでも見つかる、お互いを大切に想うひとたちが集まって、ひととひとがともに存在する、ただそれだけの空間で
わたしたちは、ふつうのひととひとだった。
世界中にありふれている、大切なお互いだった。
特別じゃないわたしたちだった。
最終日、という響きに違和感を覚えるほどに、当たり前になった光景。少しでも長く、と願わずにいられなかった。
変わらず
特別な時間は、特別な関係性を生み出すのかもしれない。それは素敵な関係だろう。
だけどだれだって知っている、当たり前の、それでいて尊い毎日だって
きっと、どこにでもある、特別じゃない私たちの関係を作り出してくれるはず。ありふれた私たちが、互いに大切に結ばれているはず。
それを守り続けるひとでありたい。
わたしが暮らす場所で、訪れた場所で、目の前にいるひとと
ちいさくちいさく、大切なわたしたちを守り続けていく。
日本であっても、ザンビアであっても、世界中どこであっても
守り続けられると信じている。
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