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11.11 透明を追いかける

レインクーバーと言われるほど雨の多いバンクーバーから逃れてきたと思ったら、こちらもなかなかに雨の日ばかりだった。1週間の半分以上は雨予報だし、10分前晴れていたと思っても急に激しい雨が降ったりする。雨が降っていなくても、どんより太陽の見えない曇りの日が多い。

土曜日、朝起きた瞬間からしっかりと太陽の光が部屋に差し込んでいて、いわゆる快晴の日だった。天気予報をみても雨が降る予定はない。1時間後に予定が友人と電話する予定があったから、その時間までに家に戻ろうと決めて玄関をでた。

30分は地図を見ずに、ひたすら自分が行きたいと思ったほうに足を進める。残りの30分で地図を見ながら家に帰る。ここにきて2か月がたったといっても、方向音痴がひどすぎる私に帰りの地図は必要不可欠、そう思ってこんなルールのもと散歩を始めた。

いきなり落ちていたフォーク。遅刻ギリギリの朝、パンをくわえて通学路を走る描写は日本のアニメや漫画でよく(?)見る気がするけれど、こっちではフォークを使って食事をしながら優雅にダッシュするのだろうか。

猫が茂みから顔を出してきた。それなりに近くによったけど、目線を合わせたら逃げていかなかった。猫が出てきたそこには、小さなトトロが通れそうなくらいの通り道ができていた。

出かけるにはマフラーが必須だし、寒がりの私はもうすでに手袋をつけたくなっている。楽しみにしていた秋を味わう暇もなく、もう冬がきたと思っていたけれど、ここから見るこの道はまだまだ秋の気配が残っている気がした。

最近自然が恋しくて仕方ない。遠くに目をやれば必ず山や海が見える、気づけば生まれてから23年、そんな町でしか生活したことがなかった。だから今いるこの町が今までで一番 ''都会的'' 。きっと人工的な芝生だろうけど、大きな緑が見えたとき、その方向へ足が進むのは当然だったんだと思う。どこまでも突き抜けていけそうな、透明で、薄く、青い、空があった。毎日こんな空だったらなあ、と思いつつ、だけどたまにだからこそ、それを手にしようとわざわざ外に出る気が起きるような気もした。

奥の奥に不思議な雲がみえる。コッペパンみたいな分厚い雲が大きく空に横たわっていた。あの雲の下まで行ってみたいと思った。小さい頃、虹の根本に行ってみたくて、ひたすら前に前にと虹を追いかけたあのときみたいに、大きな雲のその下にある街がどんななのか確かめたくなった。もう大人だからね、きっと辿りつけないよって、そんなことは知っていたけど、どうしても追いかけたくなったから行けるとこまで行くことにした。

ひたすら雲を見据えながらまっすぐまっすぐ歩いた。幸いにも少し大きなまっすぐの道に出たから、本当にただひたすら、雲めがけてまっすぐまっすぐ歩いた。雲の下まで続いていそうな、その先が一つに終点している道を歩きながら、急にわあっと涙が出そうになった。

こんなに混じりっけなしの、純度100パーセントの、私の内から溢れてくる動機だけを頼りに足を進めているのはいつぶりだろう。学校いかなきゃ、友達つくんなきゃ、家帰んなきゃ。本読みたい、なんていう自分がしたいと思ってしていることですら、なんとなく有意義な時間を過ごしたいって動機が2%くらい混じっている気がする。自分で自分のために選んだ選択はもちろんたくさんあって、それをありがたいくらいの支援を受けながら実現させてもらっている現実があって、だからわがままなんてもちろん言えない。したほうがいいこと、しなきゃいけないこと、がたくさんある。

だけど、こんなにも透明な衝動に従っている瞬間って、どこまでもいけそうで、どこまでも胸をはって大きな歩で進んでいたのかって、単純に驚いた。

30分を知らせるタイマーがなった。予定を崩すわけにはいかなかったから、マップを見ながら家に帰ることにした。


しなきゃいけないこと、やったほうがいいだろうなと思うこと、月曜提出の課題なんかも。いろいろなものが混じっている毎日に、たまにでいいから雲を追いかける散歩ができたらと思う。

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