有名:世間に名が聞こえていること。名高いこと
前回の記事がいつもより読まれている。自分の書いた文章を月で120回ほど誰かが読む。こんな事ネットがなければできない事だ。100人に見られてもそれを良いと思う人はその中の10%もいない。
しかし、これだけなんでも発信される世の中だと、有名人が大量に出てくる。
例えばYoutubeで再生回数が〜10万の人はどれくらい居るだろうか?これだけ多くの人が見ていれば「有名」だと言えないこともないが、コミュニティーとしての規模は小さく「その界隈では有名」程度にしか言えないだろう。
これは今までの有名人像を壊している様でもありつつ、有名人の敷居をさらに高めてもいる。有名人ピラミッドなるものを作ったときに、大きく影響力を持つのは大体フォロワーが何人になった頃なのだろうか?
そもそも世間という枠組みをどこにするかが問題である。世間というのを人工の何%とするか、それとも界隈を一つ作れるくらいの人数とするのかでは、全く違う有名人が生まれるだろう。
テレビ業界の人が恐れ始めるのは100万人だという話をどこかで聞いたが、それだけいれば、それなりに人から人へ、其処から社会に影響を与えることになるのかもしれない。
お金だとどうなるだろう。
インスタグラムのフォロワーが3万6千人の人のクラウドファンディングでは473万円以上の金額が集まっている。支援者の数は412人、一人1〜2万円を単純計算でフォロワーの1%の人が支払っていることになる。
彼女の考えや作品の素晴らしさもこの結果に影響しているので一概には言えないが、大体1%の人が1万円を払ってくれると考えると、100人のフォロワーで1万円という金額を引き出せる。
1000人で10万円、1万人で100万円、10万人で1000万円と考えると、1万人のフォロワーというだけで個人単位で考えるのであれば、かなりのお金を動かす力があると言えるだろう。
金銭的に考えると、100万円あれば何かしらのもとでとして申し分ない(もっといるのか?)だろうから、1万人のフォロワーがいれば何かを始める際に金銭的に困ることは少ないと思う。
一人で生活しているのであれば、フォロワーが10万人いれば、それなりに裕福に生きていけるのではないだろうか?
しかしこれは、推測としては偏りすぎている。インスタグラムとキャンプファイヤーの数字のみを見たものなので考えるためには、サンプル数を増やして、数字を正しく出し計算をするべきだが、研究でもなければただの思いつきに過ぎないので、今回は割愛させていただく。
つまり、有名というのはその人の魅力の一つであるし、今の時代では有名であるということが良いこととされている。しかし、それだけが良いものの基準になってしまい、有名でないといけないと考えるのは又別の話だと思う。
有名であることの利点を考えて、それが必要かどうか、それが本当に自分を縛らず、幸せにするのかを考えて生きたいなと思うものだ。まぁ私が有名になることはないだろうから気にすることもないだろうけれど。
最後に
今回の見出し画像は、ギュスターヴ・クールベの『画家のアトリエ』という絵画である。彼の絵は今三菱一号館美術館でやっている、イスラエル博物館所蔵を扱った印象派・光の系譜で見ることができる(この絵は来てないのが残念だ。)、彼のよく扱っていた題材である波や、静かな自然の絵を見ることができる。
暗い印象だが静かで良い絵だ。
この美術館では今、他の印象派の絵も見ることができる。
モネの睡蓮も来ているし、ゴーギャンやゴッホ、ルノアールの作品を見ることができる。帰りには東京駅のイルミネーションを見るのも良いだろう。
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