【ココロの旅#80】"感覚"-素的視点から
こんにちは、日は差しても体感温度はやはり2月。節分の次のお楽しみは14日のバレンタインデー、お口も心もとろけるチョコレートですが、甘くない現実もあります。大切なあの人へ贈るチョコレート、皆がハッピーになるものを選びたいものですね。
~五感の今昔~
●他者とのコミュニケーションでは
前回のブログでは、古人の優れた五感に思いを馳せ、現代人(というか私個人)のヒトとしての凋落ぶりに改めて恥ずかしくなりましたが、自然は懐が深い。そこかしこで甘やかな紅梅白梅が匂っている…ありがたや。
もう結構な年月、様々な組織で働いてきましたが、何か問題が起きると、それが何であれ、究極的には全て「コミュニケーション」に還るというか、当事者が一致して「コミュニケーション」に責めを負わせる(笑)ことが多いように思います。
理由は、(個人の見解ですが)「コミュニケーション」は自分事のようで他人事のようで、"社会/世界全体事"であるからだと思います。それは、三つの輪を重ねた時に中心にできる領域のようなもので、ここに陥ると決定的な責がどこにあるか不明という状態になるのではないか(下図の白い箇所)。
何となく「コミュニケーションに問題が...」でお茶を濁しがちだった私ですが、少しは進歩したい、古人の豊かな感性に倣って。
古人の、彼/彼女らの感覚とは・・・
はて、はて、一体何なんでしょうか?
●素的視点から
コミュニケーションのセミナーを受講したときに、興味深いお話を聞きました。
(ご存知の方も多いかもしれませんが)それは「コミュニケーション時のVAK」というもので、人がコミュニケーションをとる時に次のいずれかに重点を置く傾向にあるそうです。
"V=Visual・ 視覚
A=Auditory・聴覚
K=Kinesthetic・体感覚(味覚・嗅覚・触覚)"
つまり、Vの人であれば見えるもの重視、Aであれば音が大切、そして、Kは体全体で外的刺激を捉えようとする、というもの。
興味深いのはここからで、(これはあくまでも一般論という前置きがありますが)VAKそれぞれに特徴が現れるそうで、その一部を抜粋すると・・・
・V=比較的早口、頭に描いているイメージを手で示そうとする、デザインや外見に心を動かされやすい、結果が見えないとやる気が起こらない
・A=論理的、声の調子(大小、高低、スピード)や言葉に反応しやすい、音楽や人とのおしゃべりが好き、うんちく好き、権威に弱い
・K=(感じながら話すので)話し方は比較的ゆっくり、感情や気持ちを手や体で表現しようとする、早口で多くの情報を言われるとたまについていけない、動作も比較的ゆっくり
だそうですが、皆さんはどのタイプでしょうか。
Aの「権威に弱い」という文句に思わず吹き出したのですが、想像するに、耳から入る刺激に最も反応するということは、所謂、"声の大きな"権威者に条件反射的に従ってしまう、ということですかね。
私自身はVとAのミックスかと思いますが、重要なのは、Kではないということで(笑)。このKはまさに古人がフル活用していたあの感覚なわけですね。
無論、古人だって、目を凝らして耳を澄ましてこの世界に触れていたことでしょうが、それよりも、己の体が感じるものを優先して受け取っていたのではないでしょうか。
そして、何よりも言動やそれに伴う情報の流れがゆったりしていたはず、一日は同じ24時間だったと思いますが。
翻って現代人は、より早くより多くより効率的に、と毎日毎時毎分毎秒、目と耳が受け取る情報はとどまることを知らない状態ですよね、実際。
そうしていつの間にか、自分(ウチ)そのものをおざなりにして、ソトへソトへと向かい、結果、「私はナニ、ここはドコ?」という”自分迷子”になってしまうようです。
そこで、迷子の自分を取り戻すには、まずは自分は/がどう感じるかを重視しましょう、とは別の専門家の弁。例のDon't think, just FEEL!ですね。
それには、つまり、この体感覚を取り戻すには、ひとまず自然に触れましょう、ということでした。
ハイキングや山登りがしづらい今日この頃ですので、密を避けて、近くの公園や緑地にでも出かけて、樹木のそばに立ち、暫くその木に触れてみてください、とも。
何かを感じられたらそれでいいし、何も感じなくても、それはそれでOK。身体を中心に据えた時間を持つことが大切なようです。
自然も身体も実に懐深い、どんなあなたでも(私も)OK、きっと皆受け止めてもらえて、徐々に取り戻せますから。