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a quiet talk-2020/7/4

「べきべき論」について書いた後、ふと、高校時代に書いた読書感想文を思い出した。「夏目漱石『こゝろ』の第三話(最終章)『先生と遺書』について思うところを書け」、という現代文の課題だった。当時担当していた先生は学年主任でもあり(ついでに倫理政経も)、授業中も課外でも厳格な、かなり近寄りがたい人だったが、私自身、生来の理屈屋であり、本を読むのが好きだったことから、現代文の時間は大変楽しかった(古文は大の苦手)。

「こゝろ」をお読みになった方はご存じと思うが、この三話では、主人公の恩師([先生」と呼ばれる)である「私」と友人「K」の交流と悲劇について「私」の遺書内で告白する、という内容である。
「K」は崇高な理想に自身を近づけるため、常に「向上心」を抱き、日々精進に勤しむ。「向上心のない者はば●だ」と「あるべき姿」を自他に求め(「べきべき論」爆走)、それができない他人を侮蔑する一方、「お嬢さん」に普通に恋してしまい、苦しみ、友情も崩壊し...

その読書感想文で、私は、主人公の友人「K」の言動や思想について、「自ら創った理想論に凝り固まり、自らを追い込んでしまい、悲劇的な結末になった」というようなことを書いた。現国の先生は、もう1名の生徒とともに私のこの感想文を「よく書けました」と授業内で褒め、発表する時間をとった。もう一人の生徒の作品は、友人「K」を手ひどく傷つけ、最終的には悲劇に追い遣った「私」を血も涙もない人でなしとして、人の倫理観について書いていた。その生徒が文章を読み上げている間、自分が書いたものが取り上げられたのは、彼女の作文の対比としてだけなのだろうかと思うほど、全く視点や立場が異なっていた。その生徒とは、元々比較的仲が良かったので、これをきっかけに更に仲良くなり、二人で様々な本を読んでは感想を言い合う仲になった。

だが、それから、相当年数が経って、何と、私自身がこの「理想論」というか「べきべき論」のトラップにかかり、身動きできなくなり、自ら悲劇を招いた。「こうあるべき」は勿論のこと、「向上心」と他者の侮蔑、他者視点からの自意識に執着する日々…全く、「K」そのものである。唯一、異なるのは「K」はふとしたきっかけで「お嬢さん」を知り、恋という感情を持ち、人間らしい別の苦しみを持ったが、私は、自らの素直な感情をなかなか獲得できなかった。
いくら本好きでも、他者理解につながるとは限らない。思えば、ここ5,6年は左脳が喜びそうな本ばかり選んで読んでいた気がする。反省。

夏目漱石の作品は好きでよく読んでいたが、この作家の作風を「肌寒い」と評した学者がいる。斜に構えて世間を見ていた高校時代、私の一番の愛読作家が彼だったのも、これで何となく合点がいった。

恋に落ちて


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