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【ココロの旅#66】「モ-もし(も)」-ワタクシの人生「イロハ帳」

 こんにちは、いよいよ今年も残すところ1週間ほどになりましたが、皆さんはいかがお過ごしですか。部屋の片づけも大詰め…と言いたいところですが、クローゼットの奥にあるものを一つ一つ手にとっては、残すかどうかで行きつ戻りつ。そういう"どっちつかず"こそ処分!とは重々分かってはいるんですが。

~条件と仮定の狭間で~
結局、願望と期待?

※下記内容の一部には個人的解釈及び見解であることを予めご了承ください。しかも長いです...

1)一般的意味:

📖まだ現実になっていないことを仮に想定するさま。また、確実ではないが、十分ありうるさま。「もしも」は「もし」の強調。

🐐先日ラジオを聞いていたら、「もしもピアノが弾けたなら」という曲がかかったので、そこから選んだテーマです。ある年代以上の人には懐かしい?

2)ワタクシの旅:

🕵️‍♀️個人的且つ趣味的且つ非学術的「もし」考

これまでの自身の人生経験において、「もし●●ならば/だったら、■■なのに/だったろうに」という表現、その時の心持やら人生に向かう態度が「●●」や「■■」へ影響する気がしている。これは、良し悪しの話でなく。

-「●●」>「■■」(「●●」の比重が高いorフォーカスしている場合)
⇒「●●」によすがを求める
⇒自身に無自覚な状態
⇒結果、色々詰まる

-「●●」<「■■」(上記の逆)
⇒「■■」について自分事として再考、判断する
⇒自身に自覚的になる
⇒結果、具体的な行動や教訓となり、新たなステップや機会が生まれることも("行動しない"という判断も含めて)

例えば過去の事象について、
「もし、あの時のメンバーにもっとスキルがあったら、プロジェクトは頓挫せずに成功裏に終わっただろうに。」

⇒自覚的であれば頓挫した”真の”要因を探り次回に生かすが、その逆の場合は己の内に不合理な恨みを抱きその呪縛が解けない

今の状況でも、
「もし、時間があれば、積読リストは解消するんだが。」

⇒自覚的であればその本について再考、「積読」の要因を探り行動に移す(読むor読まずに処分するなど)が、その逆の場合は本に向き合わない自分を責めるという無駄な時間を過ごす

人間関係では、
「もし、あの人がもっと理解してくれたら、こんな不快な気持ちにはならないのに。」

⇒自覚的であれば「不快な気持ち」を分析、その解消方法を編み出すが(或いは考えるうちにアホらしくなり手放す)、その逆の場合は自他への呪い無限ループにはまる...

まあ、こんなにくどくどしく書かなくても、自覚的であるということは、ただただ「どうありたいのか」「何がしたいのか」を知る/知っているということに尽きるので、何の衒いも気負いも要らないし、他者の承認も要らない。

だが、他者の使う「もし」表現には、少し気を付けた方が良いようで、
自身の「もし」とは異なるアプローチ(というか心構え)が要ることがある。
それは、まずは「●●」を知った上で「■■」を聞くということ。

他者の場合、聞き手が「■■」以下にのみフォーカスすると「結果主義」に寄る可能性があり、受容や共感性が持てなくなる(勿論持たなくても良い場面もあるが)。しかも、この「結果主義」、常に、単に結果そのものを見ているという訳でもなく、その人の望む「結果」と照らし合わせた上で、いわゆる「見たいように見る」(判断する)という危うさもはらむ。
一見、左脳的で合理的で面白味がないような「結果主義」だが、実に女々しい(笑)側面も持つということか。

自身には「■■」>「●●」であり、対他者は(可能な限り)その逆(「プロセス主義」ともいう)であることは、これからの多様性重視の時代に不可欠だろうと思う。
「多様性」とは他者の尊重は言うまでもなく、その根っこには、まずは自身の個性と特徴に自覚的であることだからだ。

🐐いずれにせよ「■■」は期待や願望の要素も多分にあり、叶わぬ思いや妄想や失望、絶望へと化かさないようにしたい(笑)。

👩‍🏫「もし」を"if"で整理してみると

英語は文法がかなり明確に整理された言語のひとつで、この"if"についても、4種の使い分けを厳格に求めている(この厳格さが文法の時間は退屈ぅー😪となる要因のひとつ)。

①条件:If it rains tomorrow, we will stay at home.
もし、明日雨ならば、我々は家にいるだろう。
→雨という条件により「家にいる」という出来事が明日起きる可能性がある(未来の話)

②現在の仮定:If I had time, I would go there.
もし、時間があったら、そこに行くんだけど。
→実際は、時間がないので行かない(現在の話)

③過去の仮定:If the train hadn't been late, we could have joined the party.
もし、電車が遅れなかったら、我々はパーティーに参加できたんだが。
→実際は、電車が遅れてしまい、パーティーには参加できないという事象が発生した(過去の話)

④法則:If you heat ice, it melts.
氷を温めたら溶ける。
→必ず起こる事象(普遍的真実)、①条件との違いは「必至=100%実現」であること。①は数%の未実現の可能性がある。

英文法書を参考に書いた上記を眺めてみると・・・

③過去の仮定if>②現在の仮定if>①条件if>④法則if

の順で表現に含まれる「感情」の多寡が現れているような気がする。

ポイントは時制(言語表現における時間)。
③の過去についてはその事象が起こらなかったことが(少なくとも表現者においては)明白なので、後ろに何を続けても「仮定」以外にあり得ない。

対極にある④は時空を超えているので、厳然たる事実(=法則)として認定され、感情など、もはやない。
①も④に少し似ていて、前半部がかなり高確率の前提(だから条件)で、後半部に描かれる事象の成立/不成立がフォーカスされる。これは取引や契約でよく目にする文言でもある(感情はゼロに等しい?!前項の「結果主義」の仮面をかぶせやすい例)。

面白いのは②。②は「仮定」に何らかの作用や行為が加わったら、その後の状態が変化する可能性が多分にあること。上述の例では、予定が変わって時間ができた場合には実現するし、今とこれから(比較的近い将来)の事項なので、願望が志望という能動的要素を持つこともあり得る(前項の「自覚的」)。

で、何が言いたいの?と問われると…
文法のように、一見、左脳的で合理的で面白味がないように見えるものでも、時間的要素が加わると、とたんに人間臭くなるということ。
時間の観念はヒトだけにあると聞いたことがあるような、ないような。
有史以来、もう長いこと「時間とは何か」を思索している人がいるとはいえ、誰も分かっていないということか(笑)。

🐐大人がしょっちゅう使う③の表現は、もはや仮定ではなく単なる言い訳...?

3)おまけ:

冒頭にあげた「もしもピアノが弾けたなら」、ずっと「男性から恋する女性への想い」を歌ったものだと思っていたが、歌詞を改めて見ると、あらゆる人間関係における「想い」にも充分当てはまりそう。

「えぇっと、つまるところ『愛情』なんだけど、上手く伝えられず云々」

であれば、想いの伝え方の一つとして、そっとお花をそばに飾るのも一考かと((贈り物ではないところがミソ)。
どんなお花でも、一輪でも、その空間を自然に温かくし、優しく寄り添ってくれるはず(くれぐれも花言葉にはご注意を!)。

<今日の美>

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