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【素的視点から#023】さ、行こう、この道を①
数時間単位で天候が変わる今日のこの頃、まるで人の感情の移り変わり、情動を見ているかのようです。
これが子供であれば、「今泣いたカラスがもう笑った」とその無邪気さが微笑ましくも見えますが、エエ大人になると、場面や場合にもよるでしょうが、感情的または情動的な言動や振る舞いは、まあ敬遠されがちですよね。
そう思うと、自由奔放な(?)自然はいいなぁとある種の羨ましさすら覚えます…これが「自然(ナチュラル)に」という表現がある所以でしょうかね。
時に非常にドラスチックな自然の変化も、その在り様や現象を純粋に眺めていると、それらそのものには、やはり全く邪気は無いように思います。
変化の背景には地球温暖化や環境問題等があるとはよく言われますが、それはあくまでも目の前の現象に我々が「意味/理由付け」をしているのであって、自然そのものを解明しているということではない。
自然は自然としての真の在り様を我々に提示しているように、私には思うのです。
もっといえば、「道」を示してくれているというか。
ー空や海川が一定ではないように
ー草木が根付き密かに芽を出し花を咲かせるように
生きるということは瞬間瞬間に動的であるとともに静的であり、それがひいては「道」になるということを。
そして、その「道」には優劣も善悪もなく、その「道」こそが尊いということを。
何者かになるのではない、ワレガママに生きる。
遠くに雷鳴を聞きながら、こんなメッセージが心に浮かびました。
"さ、行こう、この道を。"