【鮮やかな日々#040】お豆さん
実家からたくさんのえんどう豆が届いた。
家庭菜園をしている父が、自身は50数回目の結婚記念日に合わせた旅行直前なのに、もう収穫しないと、とここ数日で一気呵成にとったそう。
そのためか、充分過ぎるほど成長した豆でも、さやを剥くと瑞々しい緑の香りがした。
すぐには食べきれないので冷凍しようと、豆を茹で、冷ます時に数個つまんで食べてみた。
これがとっても甘く、薄皮は柔らかく、実はほどよい咬みごたえがあり、美味だった。
いわゆるグリーンピースは、メインの添え物や彩りのアクセントの座に収まりがちだが、このお豆は主役級。
剥いた後の、水分を失い皺の寄ったさやを見て、ふと、人の成長というか齢を重ねるということを思った。比較的若さに価値をおくこの社会、確かに次世代につなぐためにも若い人の台頭は歓迎すべきことではある。
届いたえんどう豆のように、充分に成長し過ぎた私は、日頃から出来るだけ若い人達に、表に出て様々なことに関わるよう仕向けているが、所々各自の知識やスキルではどうしても補えない”隙間“がある。相当優秀な人でも、である。
また、ちょっとした躓きや行き違いがあった場合でも、私の年齢の重みが醸すものがあるのか、事態がなんとなく収まることも多い。
結果、期せずして、最後に全てを持っていってしまうこともあり、配慮が足りなかったと、まだまだ修行が要ると思っていた。
が、今日、このお豆さんの滋味を知り、そういうことなんだと妙な納得を覚えた。悦に入ることはないが、図らずも持っていってしまったなら、それはそれでいい、流れに任せれば。
〔今日の生命〕