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【素的視点から#066】イロイロな視点-まずは己れから
先日、知り合いと話していて、同一の人物についての評価が大きく異なる、各々対極ということがありました。
この手のことは、別段話題にすることもないほどありふれたことで、皆さんもよく出くわすことでしょうね。
けれど、どういうわけか、先日の評価の違いは、「えぇ?そうなの?」と不思議に思うほどで、暫くポカンとして苦笑するという事態に。
人の多面性や他者との関係性が評価の根拠であり、影響を与えるということだけでは済まないような、『何か』が感じられて、一瞬ブラックホールに陥ったような気がしたのですね。
となると、もう既に評価の「対象者」のことは眼中になく、評価者同士の評価ポイントを評価することになる ーおかしなことですが。
であれば、人を評価するとは、一体何をしているのか。
評価のポイント=目につく/ついた箇所=『わたし』が気になるところ。
単純に眺めると他者との接点は、
“あの人とこんな経験をしたよ、それで『わたし』はこう感じたよ”
という以上でも以下でもない。
それにプラスして、他者についてああだこうだというのは、どうも自己を他者に写し見ているようで、要は自己評価。
クリスマスが近いせいか、ふと聖書の一節が心に浮かびました。
「まず自分の目から梁を取りのけなさい」