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フリーテーマの日曜日② ちいさな差別

日本に生まれ純ジャパとしてここまで育ってきたわたし。多少変わった学校に通っていたけれど、普通に生きてきた(「普通」ってなんなんだよってことはめっちゃ思うけれど今はそこに紙幅を割けないので、割愛させていただく)。
「差別」されるという経験はほとんどなかった。そんなわたしのお話です。


去年のお正月、祖母が「あなたの大学は”これ”なんだね、知らなかった」と十字を切る仕草とともに言った。わたしはそのことが今でも忘れられない。

祖母に他意はなかったのかもしれない。けれどその言動は差別的だった。と思う。

わたしは幼稚園から高校まで、キリスト教の思想を土台にした教育を行っている学校で育った。なぜこんなにまどろっこしい書き方をするかというと、学校の創立者は宗教の押しつけはしたくないと考えていて、学校には牧師もいなければチャペルもない。いわゆるキリスト教の学校とはすこし異なっているからだ。はじめて学校を訪れた人は、一応キリスト教系の学校なんだよと言われても信じないかもしれない。
礼拝は毎日あるし、クリスマスにはメサイアも歌うけれど、礼拝は先生も生徒もする。聖書の授業はない。もともと礼拝はなくて、うん十年前に生徒たちの希望で始まったらしい。そのせいで、数年に一度は「じゃあ生徒たちの手で礼拝をなくそう」という議論が起こる。

わたしも礼拝が嫌いだった。中学生の頃は特に、いかに讃美歌や聖書に内職道具を挟んでいくか、ということしか考えていなかった。神なんて信じられない、信じたくもない。そう思っていた。
高校生になって、自分にも礼拝をする機会が与えられたり、反抗期が落ち着いたということもあるのだろうけれど、少しずつ讃美歌の歌詞や聖書をちゃんと読むようになった。すべてを認めることはできないけれど、こういう考え方もあるのか、と受け入れることができるようになっていった。

そして大学を決めるとき。やっぱりキリスト教の大学がいいな、と思った。特定の宗教とかかわりのない学校に通ったことがないからわからないけれど、自分の通っていた学校の持つ特有のあたたかさというのは、やはりキリスト教の影響があるのではないかと思ったのだ。
自分で意識しないうちにキリスト教的な考え方に基づいているなと気づくこともあるし、クリスチャンでなくてもその思想をある程度共有できることが楽だった。

あ、ちなみに、わたしはクリスチャンではない。求道者と言えるほどの者でもない。だけどわたしの根底にはしっかりキリスト教的な精神が根付いていると思う。だから、わたしの机の前にはこの言葉が書いてある。

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(コリントの信徒への手紙一 10章13節)

今までいろんなことがあって、どうしようもないことばかりの20年間だった気がするけれど、この御言葉だけは本当だと思っている。
だから、こんな世界もきっと、なんとかできると信じているよ。適切な表現ではないかもしれないけれど、わたしはキリスト教に憧れている、すごく。


本題から随分とそれてしまった。
「差別」ということについて書いていましたね。受けた差別や偏見はそれだけではないけれど、どれも取るに足らないものだった。だけどあの祖母の言葉だけはいつまでもわたしの心の中に残っている、あまりよくない意味で。
自分の今までの環境や思想と違うひとが現れたときに、差別的な気持ちを抱くことはままあることだ(そういえば大学入試の問題で「差別と区別の違いは何か」という問いがあったなぁ)。擁護も容認もしたくないけれど、仕方がないことなのかもしれない。
だけど、ずっとマジョリティの中に生きていくっていうことはなかなか難しくて、いつか必ず自分がマイノリティになる。大きなことではなくても、日常に潜んでいること。大学に入ってから嫌というほど味わった劣等感。世の中は学歴やら効率やらを気にする人間がほとんどで、そんな世界のなかだとわたしが今まで大事にしてきたものはあっという間に崩れてしまいそうだった。

どうすれば差別がなくなるか、なんて問題はあまりに難しいけれど、考えないわけにはいかないことだ。自分が経験しないと考えることも難しかったり。なんだかなぁ、と思う。