ラストティーンは抗う。
ほんとうは昨日「ハタチになること」について書こうと思っていたけれど、どうしようか悩んでしまった。うまく書けるかな、わからないけれど書けるだけ書いてみます。
なぜカタカナで「ハタチ」と書くのかっていうのについては、拘りがないようでやっぱりあって、20年目の人生がもたらすものは、今までと違う異質な何かを持っているように見えるからだ。近寄りがたい、でもいずれ襲ってくるもの。
わたしは「ハタチ」になることがすごく怖い。まわりがどんどん「ハタチ」になっていく年なのに自分はならないから、どうしたって考える時間は多くて、不安や恐ればかりが膨らんでいくのかなと思っている。
わかっているんだ。2月まで無事だったらわたしもその20年目の扉を開けることは確かで、それを越えることは呆気なくて、「なっちゃえばなんてことないよ」と口走るようになるのだろう。
私の10代はどうしようもなくきらきらしていて、それを手放すことが惜しい。絶望も、期待も、孤独も、ちょびっとの希望も、いろんなことを感じて経験した10代。もちろん20代になったって悲喜こもごもあるのだろうけれど、今までのように心を動かすことができるのかなっていう不安。いろんなことに心が動きすぎるのはしんどいし、何も感じない人になりたいと思うこともあるけれど、やっぱり自分の感情が愛おしいと思ってしまう。自分のことが好きなわけではないんですけれどね。今の壊れそうな宝物をずっと持ったままでいられるのだろうかと思う。
大人になる=責任を伴う自由が得られるということなんだろう。楽しいことが増えるんじゃないかという期待はある。だけど、無条件に守ってくれる存在が減っていくということへの恐れがある。自分のことは自分で守らなければならない、わたしにそんなことができるのかなって。
どんな大人になりたいか、どんな10代の終え方をしたいか、もうちょっと考えてみます。