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3.4.バジリスク: 原産から見る歴史

3.4. 原産から見る歴史


 バジリスクは、アフガニスタンを原産とすると言われている。リビア、ギリシアにも生息していたと見られ、かつて砂漠地方に常駐する種のバジリスクがいたのではないか、と推測されている。


 幻想動物と認識される以前、バジリスクはニワトリとほとんど区別されることがなかった。これは紀元前の人類にとって、ニワトリの生産がさほど重要ではなかったことが原因であろうと思われる。時にバジリスクによる被害が出たとしても、その地に住むヘビなどが疑われることになった。初期の伝説の中のバジリスクがヘビの形をしているのは、こうした背景があるからだろう。


 西アジアではもっぱら、ニワトリ(とそれに混じるバジリスク)の羽毛を装飾品とした。しかし、バジリスクの羽は羽毛と異なり紙に似て手触りが悪く、乾燥で丸まってしまうため利用法が限られた。毛並みの悪いニワトリと思われたバジリスクは、幼体のうちに間引かれてしまうのが常だった。従って人間の生活からは排除されたが、逆に野生個体を干渉することもなく、繁殖数を安定させていたと考えられる。


 原産地周辺においては、紀元前からすでにバジリスクは分布の広がりを見せている。インダス文明で栄えたモヘンジョ・ダロ遺跡からはニワトリを象った装飾品とそのものの骨が出土しているが、これに交じって明らかにバジリスクの特徴を備えた像もいくつか発見された。こうしてニワトリに紛れたバジリスクはエジプトへと渡り、その後ギリシア文明の繁栄と共に、広く伝播したとみられている。


 しかしヨーロッパに現物が伝わるのは、かなり後になってからのことだった。18世紀から19世紀初頭にかけての東洋趣味の流行と共に、観賞・愛玩用のニワトリの飼育や品種改良がブームとなると、これに目を付けた業者がバジリスクを珍種のニワトリと偽って販売するようになった。バジリスクは生体である限り羽毛は美しさを保たれ、他の長毛種よりも手間がかからないことから、たちまち人気となった。ブームはアメリカにも飛び火し、程なくそちらでもバジリスクは販売されることとなる。売却した側はバジリスクと(あるいは少なくとも有毒動物だと)知っていた者も多かったようだが、購買者の中には輸入先に騙された者も少なくなかったようである。ニワトリと誤解したまま飼育するため、毒による被害は多かったと考えられる (14)。流行が過ぎると、他のニワトリと同様にバジリスクも屠殺されるか、飼育放棄されるなどした。中には逃げ出して帰化したものもあったようである。幾ばくかの心ある好事家たちがその後もバジリスク飼育を続け、やがてそれに合った飼育法を見出すと、これを保護種と定めた。今日でも、いくつかの飼育専門家によって、当時の姿そのままのバジリスクの子孫たちが伝え残されている。 (15)。


 歴史を通して見るとほとんどの地において、バジリスクは「ニワトリとは異なる生き物」という認識を持たれずに飼育されてきたことがわかる。こうした過去から、今でも貴重な幻想動物とは思われることなく、邪険な扱われ方をすることも多い。特に養鶏関係者の間では通称ニセニワトリと呼ばれ、忌み嫌われているのが現状である。


14)バジリスクの毒によって販売元や飼い主が亡くなる事例が多発すると、人々はこれを「鶏毒病」と呼び、ニワトリが媒体となる伝染病であると考えた。唯一、イギリスの「Daily Mail」がバジリスクのせいではないか、と記事にしたが、創刊したばかりのタブロイド紙の意見は信用性に欠けるとして、黙殺されてしまった。


15)これは「クラシック・バジリスク」と呼ばれる亜種である。クラシック・バジリスクの最大の特徴は、装甲板の羽毛鱗が常時発色していないことであろう。クラシックは繁殖期にのみ緑色に発光する。現代のバジリスクの多くが装甲色羽毛鱗を持っているのは、ニワトリブーム時に品種改良されたためと思われる。

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