18. 蛇口の中から
窓際でアルコールを片手に本を読んでいたら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。耳に何かが落ちてきて、それに驚かされて目が覚めた。
夜中の雨が吹き込んだのだろう。窓を閉めてカーテンをひく。床はそんなに濡れていなかったが、開いた本のページに雨の跡が残っていた。
明日も仕事があるので、ベッドの中で寝なければならない。環境音でつけていたテレビを消し、流しにグラスを片付ける。テキーラ瓶は机の上に。ボトルに半分ほど残っている。
そして洗面所へ歯を磨きに行き、それに気が付いた――蛇口から声がしている、と。
はじめそれは、幻聴であるかに思われた。
声は細く小さく、どうやら女の声であるらしいことだけはわかった。それ以上は判断が付かず、また酔って頭に霧がかかっているような状態でもあったので、その夜はそのまま寝てしまった。
翌朝になって思い出し、蛇口に耳を近づけてみたが、死角に水垢が溜まっているのを見つけただけで、何も聞こえはしなかった。しばらく待ってみる。上の階の住民が水を使ったらしい、管の中を水が走る音を合図に、顔を上げた。
たぶん夢だったのだ。わたしは顔を洗い、二日酔い気味の頭で職場へと向かう。
小さな換気窓しかなく、電球が洗面台の上についているだけのバスルームはうす暗く、従って掃除が行き届いていない。トイレで本を読む習慣もないし、風呂もカラスの行水なので、用を足す時僅かな間しか使用しないので、それまではそれで構わなかったからだ。
わたしは棚の隅に溜まった埃を雑巾でこすり落としながら、イライラと耳を傾けた。
目についてしまえば、それを正しいコンディションにしなければならない。自分のそういう性格が仕事においては長所になり、私生活では時に短所となることは、よく知っている。もちろん、掃除をすることは、ひいては物持ちをよくすることに繋がる。だがそれに煩わされ、昼食も取らずに朝からずっと掃除をし続けているのは、自分でも狂気の沙汰だと思う。
蛇口をひねると水が出る。そこからぼそぼそと、かすれた声もこぼれてくる。
讃美歌だ。これは知っている、“アヴェ・マリア”。
わたしは痛み始めた腰を伸ばして、蛇口を見つめた。別に変わったところのない、量産型のよくある蛇口だ。引っ越してきたときから変えていないので、塗装が剥げて緑色の錆が出ている。水を受ける洗面台もごく普通の量産品だし、人工大理石の台も塗装ベニヤの棚も、なにもおかしなところはない。
声は蛇口が水を吐きだす時だけ、微かに聞こえてくる。
これが下水道の管であったのなら、別の階の住人の生活音ということもありえなくはない。バスルームの音は、何階か離れていても時に奇妙なほどはっきりと、別の所から聞こえることがあるのだ。
しかし、水が出る時だけというのは、どうしてだろう。古いビルのことだから、地下のボイラー室で何か異常があったのだろうか。それにしても、こんな声のような音がするのだろうか?
理論的ではないことは得意ではない。
わたしは何とか理由を見つけようとバスルーム中をひっくり返し、ついでにタイルの一枚一枚まで磨き上げる。
ほとんど聞き取ることのできなかった声は、日に日に音量を上げ、とうとう単語の一つ一つがはっきりと聞こえるまでになった。
声は若い女の声に感じられるが、それにしてはしゃがれ過ぎている。喉を傷めた時とは違う掠れ方で、生命力に溢れながら、美しく年輪を重ねた少女の声、としか形容しようがない響きなのだ。
塵ひとつ落ちていない、しかし相変わらず薄汚れて見えるバスルームの床に膝を立て、わたしは蛇口を下から覗き込み、ウォッカを飲んでいる。
水道からはぎりぎり水滴とならない量の、水が垂れている。それと同じように、女の声も、細く絶え間なく流れてくる。今日は“主よ、人の望みの喜びよ”。
毎日違う歌を違う言語で、しかしその日であるうちはずっと同じ歌を、女は歌う。
グラスの中の氷を鳴らしてリズムをとる。女は一瞬声を止めた。わたしははっと息を呑み、思わず蛇口を覗き込んだ。当然ながら、そこからは何も見えない。慌てて蛇口をひねって勢いよく水を出すと、女は再び大声で歌い始めた。
わたしはほっとして、水の量を調節すべく洗面台に手を伸ばす。
女はずっと歌っている。
朝起きて顔を洗う時、朝食を作る時、用を足すとき。
さらにはコーヒーを淹れるためにカップに湯を注ぐとき、雨が降っているとき、コンタクトレンズの洗浄液を容器に注ぐとき。
おおよそ水に関係する全ての現象に連動して、女は歌を歌う。荒野の果てに。ここ数日、家にいても仕事に出て居ても、声は常にわたしの側に寄り添い、ひどく悲しそうな声で同じ曲を繰り返す。
グローオー・オー。
わたしはバスルームのドアを閉め、キッチンのドアを閉め、電気家電の電源を全て切った。電気も流れるものなので、ひょっとするとそこから声が聞こえてくるかもしれない、と思ったから。それからできるだけ乾燥した毛布を山ほど被って、わたしは水道管からできるだけ遠い場所にうずくまる。
外にはもう出られない。
とうとう水さえも、怖くて飲めなくなってしまった。今はまだ果物や野菜で口を湿らせて凌ぐことができる。だが、そんなことを続けていられるはずがない。いつかはそこからも、声が滴るようになるだろう。
オー・オー・オー。
声がうるさくて眠ることもできない。
疲れて苛立った頭を抱えて、わたしは引き出しの中のハサミのことを考える。
数日前に、念のために文房具屋に寄って買ってきた、大きな裁ち切りばさみ。緑色のプラスチックの太い握りが付いていて、いかにも鋭く切れ味の良さそうなやつだ。
本当は、もう気が付いているのだ。
声は蛇口から出てきていたわけではない。水があるところに発生するわけでもない。
こぼれてそこに落ちてしまった声が、出られなくてもがいている。迷子を捜す母親のように、女も必死でそれの帰依を呼びかける。その共鳴は、すぐそばにいるのにひとつに戻ることができない、落とし穴であるわたしにしか聞こえないものなのだ。
気が付いてはいるのだ。
安易に耳を切り開いてみたところで、多分声は元には戻れないのだと。
オー・オー・オー。
オーリ
ア