3.1.バジリスク: バジリスクとは
3.1. バジリスクとは
幻想動物の多くは、長い間その存在を「空想上の」ものとして実在を否定されながらも、しかし一部からは当然のように利用されてきた歴史を持つ。そうした空想からくる極端な伝説は、現代における幻想動物学の基盤となりつつも、誤解と混乱を招いてもきた。その中でも、バジリスクほどその混沌を体現するものはない。彼らは人類と長く歴史を共有してきながら、「伝説」からくるイメージとはあまりにかけ離れた実態を持っているがために、近代までそれと気づかれずにきた。人々の頭の中の「バジリスク」像は、時代と場所(あるいは語る者の信ずるもの)によって姿や性質を変え、実在動物として認められた今日でさえ、一般的には正しい認識を広められずにいるのである。
バジリスクは小型のニワトリに似た有毒動物で、尾羽が非常に長く、その中の尾に相当する部分にヘビに似た器官を持っている。その名称はギリシア語の「小さな王」に由来し、全てのヘビを統率すると言われていた (1)。その通り、バジリスクは鳥類ではなく、遺伝子的には爬虫類に似た生物である (2)。
バジリスクは旧約聖書にもその名が記されるほど古くから知られていたにも関わらず、強力な毒を持つこと以外は記述内容が揺らぎ続ける生物であった。古代ローマでは一風変わった毒ヘビとして紹介されるに始まり、中世になるとそれが「8本足のトカゲである」、「頭上に冠を持つ」、「雄鶏の卵から産まれる」等が次々と付け足されていった。さらに後年、中世頃になるとヘビの尾を持つニワトリへと変化する。そうして姿形こそ正しく認識されるようになったものの、相変わらず荒唐無稽な習慣が増え続けるだけでなく、「コッカトリス」や「バジリスク(バジリコック)」などの複数の名前で呼ばれるようになるのである (3)。
幻想動物学が確立するにあたり、バジリスクはその形状と名称を統一されたが、その際に問題となったのが、バジリスクをどこに分類するか、ということであった。バジリスクは長い間、ニワトリとヘビが一つの身体に収まっている、いわゆるキメラ生物であると考えられてきた。幻想動物にはそういった複合的要素を持つ動植物が少なくなく、当時これらを「キメラ(網)」としてまとめようという動きもあったのである。しかしそうした動物の多くは、生物学におけるある種の動物と遺伝子的によく似ていることがわかると、バジリスクを始め多くの動植物は、それぞれを別の動物であるとして、一種に分類されることとなった (4)。
幻想動物学黎明期の論文では、バジリスクはヘビ状の尾を持つ「蛇尾類」 (5)の仲間に分類されていた。これは、ヘビに似た形の尾をもつ幻想動物のいくつかが、バジリスクと同じように尾のための「第二の脳」を持っていたからによる。これらの蛇尾類は、本体の頭部に従来の脳と尾に属する簡略化された脳の二つを有することで、それぞれが同時に、独立した行動を行うことができる。ただし、知能は高くない場合がほとんどで、第二の脳は単純なタスクしかこなすことができないのが常である。例えばバジリスクの尾は「防衛器官」と呼ばれ、それが独立して行動しているように見えるが、実際には近寄ってきた敵を撃退するための、パターン化した動きしかとることはない。とはいえ、個体差を考えれば一概に判断・断言することは避けるべきであり、こうした幻想動物の扱いには特に注意が必要であると頭に留めておく必要がある。蛇様の部位を持つ生物は有毒であることが多く、実際、バジリスクの発見報告は怪我や死亡事故を伴って報告される事例が多い。
以上の事柄から、バジリスクは強力な毒を持ち、攻撃の為の防衛器官をもった狂暴な幻想動物であると誤解されがちだが、その実たいへん臆病で気の弱い動物なのである。一個体が生涯で生産する有害物質が裕に数千人分の致死量になるというのに、バジリスク害の報告は一年に数件もない。もし好戦的な生き物であるとしたら、死者数はその程度であるはずがなく、また、ここまで秘された存在ではありえなかったであろう。現在で各地に帰化し、中にはそれと知られずに養鶏場で飼われている数を考えれば、なおさらである。
本章では、こうした一般知識とは実際には異なる性質を持つバジリスクを例に、不必要に危険視されがちなキメラ型幻想動物の本来の姿を知ることで、正しい対応と理解を深めることを目的とする。
1)古代の人々が、何故バジリスクが爬虫類であることを突き止めていたのか論拠は様々あるが、時代が古く確固とした資料を得ることができないため、後年付け加えられた憶測であるとも言われる。また、単にバジリスクの毒害を、別の毒ヘビによるものであると勘違いし、このヘビをバジリスクと呼んだ可能性もある。
2)1768年に発見されたイグアナ科の生物とは異なるため、注意すること。このイグアナにはいくつかの種類があるが、いずれもバジリスクのような毒性はない。水上を走行することからキリストの故事に因み「Jesus Christ Lizard」という別名がある。「実在動物と幻想動物」、「キリスト教での聖体と悪魔」など対比され論題になることもあるが、幻想動物学の研究課題には含まない。
3)大まかな変遷を辿るには、博物学書物が有効である。古代ローマの博物学者プリニウスによる「博物誌」(77年)での記述によれば、巻数によって多少内容が異なるものの、通常の毒ヘビと変わらない(ただし、トカゲとも訳されることがある。16世紀のドイツ語版では、一変して雄鶏とヘビのキメラ姿で描写される)。12世紀の中世ヨーロッパでは、自然研究者ネッカムが「事物の本性について」において、バジリスクは雄鶏の卵から産まれてくるとしたが、これは古代の聖人ベーダ師が730年頃初めて言及したとしている。16世紀のスイスの博物学者ゲスナー著「怪物誌」では、バジリスクは王冠をもつヘビとして描かれる。ポーランドの博物学者、ヨハネス・ヨンストン著「鳥獣虫魚図譜」、特にフランクフルトで出版されたラテン語版(初版、1649年~53年)では、バジリスクはエリマキトカゲのような、エイのような、奇妙な形状の生き物として紹介される。19世紀、F.Jベルトゥーフは19世紀の博物学の集大成である「子どものための絵本」に、コッカトリスとバジリスクの両方を記載しているが、コッカトリスがヘビの尾を持つ鳥類であるに対して、バジリスクはリビアに生息する猛毒のトカゲとなっている。こうしたバジリスクの「想像上の」容姿の変化過程に規則性はなく、作画者がどの先達を手本としたかによる。中には、著者の説明が不十分であるため、画家が完全に創作してしまったものもある。
4)従来の生物とは一線を画す幻想動植物においても、全く異なる二つの動植物が(少なくとも現時点において、その比率が同率で)一つの身体に収まっていることはない。ただ別の生き物を擬態しているか、偶然そう見えるだけである場合が多く、現在キメラという言葉は、「その生物には外見的に複合的な特徴がある」ことを示す言葉として使用される。一般的な「異なる物の合成」という意味ではないことを考慮にいれること。
5)メルガル著「実在する動物たち:幻想とはなにか」(1982)によって提唱されたが、公式に採用されることはなかった。しかしながら今日でもメルガルに敬意を表し、この名称を好んで使用する研究者は多い。氏の説では、 基本的には尾だけではなく、ヘビ状の何らかの部位を持つ動植物は全て、この類に含まれることとなる。
読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。