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1.持って行ってください
帰り道に、その建物があるんです。
その通りは大通りから二本ほど入った所にあるので、開発を逃れて、ほとんどが建てられた当時の外見のままの、古いテラスハウスが並んでいるんですよ。
建築に詳しくないわたしでも知っている、直線的で左右対称なジョージアン・スタイル。長方形の跳ね上げ窓の、レンガ壁で……重厚でありながら、デザインとしてはシンプルなので、今でも人気がありますね。
時代的に、この辺りは十九世紀に発展したはずなので、後世の懐古趣味で建てられた、なんちゃって長屋です。
その証拠に、通りの反対側のテラスハウスは、ビクトリア朝の兆しがある。窓と枠に装飾がーーああ、いや。話が逸れていけませんね。まあ、とにかく、通りのどの家を見ても古いスタイルの、いかにもイギリスらしい建築を、想像して貰えば大体合っていると思います。
当時としては少しだけ、良い家だったんじゃないですかね。
都市と郊外の中間辺り。比較的大きめで、装飾に凝ったり、内庭を持ったりするだけの余裕がある。地位はどうかな。多くの住人は、ブルジョア階級だったのではないかと思います。
そういう、通りです。
帰宅時間というと、たいていが夕方から夜にかけてですね。
わたしは学生時代から今の家に住んでいますが、その通りを、ほとんど昼間に歩いたことがありません。
最寄り駅が二つあって、大学と会社へは、南側にある地下鉄、セントラル・ラインを利用するんです。ところが、スーパーやクリニックがあるのはサークル・ラインが通る駅で、これは家の北にあるんです。南側は住宅ばかりで何もないので、必要がなければ足が向かない。
そんなわけで、そのテラスハウスを通る時は、たいてい暗い時間なんです。
家を出る時間も、今の時期なら真っ暗ですよ。真夏でもない限り、いつも薄暗くてね。あの辺はなぜか、街灯を消す時間が早いみたいで。それでも朝は急いでいますし、これから日が出てくる予感があるから、通るのが苦にはならない。
それが夜だけはね、毎度声をかけられる。
駅からの道の、角を曲がって四軒目くらいかな。地階の窓下半分がガラスではなく木版の家でね。二階の三つある窓も、ひとつが漆喰で埋められている。行けば、すぐにわかるでしょう。
そこからーーああ、これは言うと差しさわりがあるかもしれないな。
いえね、そこの二階の窓から、掛けられる言葉があるんですけれど、そのままの名称では都合が悪いんで、ええと、そうだな。じゃあ、「モーリス・アカデミー」とでもしましょう、仮に。
通りかかると二階の窓から、「モーリス・アカデミーへ、持って行ってください」って、言葉を投げかけられるわけです。
いつもじゃないけれど、夕方から夜なら、結構な割合で声をかけられますよ。他の人は知りませんけれどね。他所でこの話は、したことがありません。
で、まあ、応えませんよね。
このご時世、知らない人からのお願いなんて、無視するのが一番じゃないですか。そもそも、文章がおかしいでしょう。なんですか、「持っていく」って。
大体、その家って、空き家なんですよ。
そこだけじゃなくて、あの通りの半分以上、空いてるんです。廃屋じゃなくてね。いや、中身は廃屋同然のところもあるんでしょうが。
さっき古い建物だと言ったでしょう。そういう家は、この国では価値があるんです。金持ちとか外国人とかが買って、住まないで、売るんですよ。「住居」ではなくて、「そういう商品」なんです。
あるいは、マネーロンダリングとかにね。
なんせ一部屋しかないアパートが、よその国だったら豪邸が買えるような値段で取引される。それが、おかしくない。不動産システムが独特だから、簡単に悪用もできてしまう。
だから場所によっては大都市の中に、実体を持った住民のない、ゴーストタウンが出来上がってしまうのも、仕方のないことなのかもしれません。
一度、なんとなく思いついて、その「モーリス・アカデミー」をネットで検索したことがあるんですよ。
仮称と言いましたが、実際にもそんな感じに、聞き覚えのあるような音でしてね。多分、誰もが知ってるかもって、一瞬は思うような、名称です。
ただ、綴りも幾通りか思いつくものですから、ああでもない、こうでもないって。色々打ち込んでみましたけれどねえ。似た名前のアカデミーがアメリカの片田舎にあるくらいで、何も見つかりませんでした。
実在しないだろうとは薄々思っていたので、失望はしませんでしたけれど。
今思えばそれも、ちょっと変な話ではありますね。世界規模で、聞いたことあるような名前のアカデミーが、たった一校しかないというのも。
それはそれとして、しかし、あれは実際はなんなんでしょうね。
さっきも言ったけれど、通り一帯が真っ暗なんですよ。
街灯はあるんですけれどね。それでいて、その暗さが当たり前みたいに感じるんです。窓に明かりのつかない家がずらっと並んでいて、そこから覗くなにかがいて。
気のせいじゃなく、確実にいるんです。
もちろん、はっきりと目視なんてしたことはない。万が一、浮浪者なんかが住み着いていないとも限らないですからね。いちゃもん付けられる隙を、見せちゃだめでしょう。
多分、ほぼ確実に、人間ではないでしょうけど。
だってそれ、いつも同じ声じゃないんです。
ある時は若い女の声で、ある時はしわがれた老人の声で。子どもの声の時もあるんですけれど、なんて言ったらいいのか。本物であるはずがない。音なんですよ、まるっきり。「人間が想像する、子どもの声」という音。
耳に付くんですよね、それが。
で、何かで話題になって、窓税について知ったんですよ、その時。
窓税っていうのは、十七世紀から、そう、ちょうどジョージアンくらいまでなんですかね。金持ちは家も大きくて窓が多いだろうから、窓の数やサイズに応じて税金をとってやろう、っていう有名な愚策なんですけど。
それで市民は、換気口まで閉じちゃったんですよ。元々、日照時間が少ない国じゃないですか。病気になる人が増えたんです、そのせいで。特に弱い女子供、老人が犠牲になったらしいんですね。
その話を聞いた後、あの家の前を通ったら、若い女性……少女という方が近いかな。そんな声で
「モーリス・アカデミーへ、持って行ってください」
でしょう。
なんだか、可哀そうになってしまいましてねえ。
幼い子どもが、暗い部屋に不当に閉じ込められて、ここから出してください、どこかへ連れて行ってください、って。懇願しているような、頭の中でそういう、悲しい妄想が破裂するみたいに広がって。
つい、返事をしてしまったんですよ。
いやあ、後悔先に立たずと言いますけど、本当に、応えるべきじゃなかったです。今となっては、どんな言葉を返したのかも覚えていないんですけれど。
疲れていたんでしょうねえ。これでも人よりずっと、ああいうものに関係しちゃいけないことは、知ってたつもりなんです。なのに、魔が差したというか、付けこまれたというか。
今もあの道は通りますけれど、もう何も聞かないことにしています。
そう思い込もうとするので、最近ではいつ話しかけられたか、わからないくらいです。慣れ切っちゃうとそれも危ないんで、気を付けてはいますけれどね。
ま、だからそんなふうに、簡単に被害者になってしまうんでね。気を付けなさいよ、って話です。
わたしは運よく、足一本で済みましたけどね。
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