人に迷惑をかけながら生きること
今日は私の愛車の車検の日だった。
結婚前から使っている小さな軽自動車で、小回りも効くし気に入っている。
子供も2人になったし、大きい車にするべきかな...と考えつつ、家族揃って乗る機会もあまりないので結局3か月前に車検の予約を済ませた。
数日前にメーカー担当のお兄さんから「土曜日13時から、車検よろしくお願いします」とお電話をいただいて、「忘れっぽいからありがたいなあ」と心の中で感謝した。
昨日も「明日は車検だなぁ、忘れ物しないようにしないとなぁ」と思っていた。
なのに、今日車検を思い出したのが13時20分だった。それも担当のお兄さんの着信履歴で。
13時20分
え、13時過ぎとるやないか。
えーーー、、、
電話口で「本当にごめんなさい」と平謝りした。お兄さんは快く「仕方ないです、全然大丈夫ですよ」と言ってくれた。
(全然よくないけどお客だし怒る訳にはいかないんだと思う。本当に申し訳ない。)
「なんでこんなミスするんだ馬鹿!いつもそうだ、なんで忘れるんだ!」と思ったし、十分な反省が必要だけど、反省は後だ。まずはどうすべきか考えないといけない。
遅れたけど今日これから行っても良いのか、日を改めた方がいいのか訊ねたところ「代車出して数日後に返すことになるけど今日の方が助かります」というような返事だった。
結局、車屋さんには14時に到着した。
自宅と車屋さんが市内の端と端なので30分ほどかかる。
お店では、みなさんありがたいことに嫌な顔ひとつせず「大丈夫ですよ」と笑顔で対応してくれた。
全然大丈夫じゃないのに。
いつも車検や定期点検の時は、車を持って行って1時間半くらいで終わる方法で頼んでいる。
その間子供たちは自宅で旦那に任せて、点検中はスマホを見たりしている。時々整備の人が「ここの部品が悪いので交換しますね」とか確認に来てくれる。
今回は初めて代車を借りることになった。
いくつか書類に記入・捺印して、代車に乗る時の注意事項を聞きいた。
修理の必要な箇所や支払い料金が分かったら夜間に電話が入ることを伝えられ「はい分かりました!よろしくお願いします!」とお願いして、「今日はほんとにすみませんでした」ともう一度謝って、代車に乗って帰宅した。
代車の後部座席にはチャイルドシートが2つ。
お店の人が私の車から載せ替えてくれていた。
旦那が子供を見ていてくれた分、帰宅してからは旦那が休憩して私が子供と遊んだ。
最近3歳の娘にゲーム機(NintendoSwitch)を解禁した。今日は金魚すくいをやりたいというので黙々と付き合いつつ、0歳の息子をあやしたり離乳食をあげたり。
夕方5時頃、0歳の息子の授乳中にスマホの電源が切れてしまったので部屋の充電器にさした。
それから夕飯、お風呂を済ませてひどい乾燥肌の娘を保湿している時、スマホをみていた旦那が言った。
「あれ、お義母さんからLINEきてる」
うちの旦那と母が直接連絡をとることは基本的にない。決めた訳ではないけれど、いつもうちの夫婦は実家には各自で連絡をとる。
「え、どうしたんやろ?なんて?」
「○○(自動車メーカー)の人が連絡つかんからお義母さんにかけたらしい」
あーーーーーーー!
え、なんで?電話鳴った?
と思ってスマホを探す。
充電器に刺さったスマホ。電源はついてなかった。
うそーーーーー。
私は去年、iPhoneからAndroidに鞍替えした。
iPhoneは充電したら勝手に電源がついてた気がするけどAndroidは違うらしい。知らなかった。
慌てて電源をつけて履歴を確認。
電話は2時間も前からかかっていた。計5回。
「もう本当に!ごめんなさい!!!」と思いながら、土下座する勢いでかけなおしたけど、繋がらなかった。
21時だもん、整備の人も帰るよね。
勤務時間じゃないのに良いのかな...とビビりながら、お兄さんの営業用のLINEアカウントに電話に出られなかった旨と「明日整備の人にごめんなさいとお伝えください、明日はいつでも電話に出れるようにしておきます。」と連絡した。
夜分にすみません、お返事は結構ですと送ったので、もちろんお返事はない。それで良い。お兄さんのプライベートな時間を奪ってはいけない。
昼の一件も合わさって、とんでもない客と思われていることだろう。
本当に申し訳ないし、文句を言われても仕方ない。整備の人を一体どれだけ待たせるつもりなのか。
人件費も、整備の人の貴重な時間も、無駄にさせてしまった。
もしかしたら待ってる間にそれなりに出来る作業があるのかもしれないが、それは私には分からない。
「今の私はそうでも無いけど、独身時代の私なら『消えたい...』みたいなテンションで2日は立ち直れなかったかもしれない。いや、下手すると一生立ち直れないくらい落ち込むかもしれない。」
今日ニュースでみた、大好きだった俳優さんの顔が頭を過った。もう何処を検索しても彼の新しい写真や映像がみられる事はない。
今日、彼の折れかけていた心に最後のひと押し、何かが起こってしまったのかもしれない。
そう思った。
昔の私はとにかく落ち込みやすくて、不安定だった。
酷い時は鬱病で仕事に行けなくなり、当時住んでいた実家にも帰れず、「死にたいというよりはこの世から消えて無くなりたい」と常に思いながら行動に移す体力も気力もなかった。
周囲にとてつもない心配と迷惑をかけながら過ごしていた。
あの時にこんな失敗をしてしまったら恐らくもう立ち直れなかっただろうと思う。
この5年くらいで私はかなり自分に寛容になった。
失敗した時には反省が必要だし、その都度自分の行動を振り返って改善しないといけない。
でも失敗を必要以上に攻めてはいけない。
自分のことも、他人のことも。
私は人生においてタイミングってとても重要だと思っている。
私が何気なく発したトゲのある一言が、折れかけていた誰かの気持ちに最後のひと押しをしてしまうかもしれない。
私が自分を必要以上に攻めた時、私自身がそれに耐えられる心の状態ではないかもしれない。
それは目に見えて分かるものではない。
一見幸せそうにみえる人でも。
なるべく沢山の人が自分を、他人を、許せる社会であって欲しいなと思う。