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いつまで続くか三日坊主


2024.01.01

今年からカメラで写真を撮り
文を書く
と言う課題を与えられた。
寝正月、地震で早速写真を撮るのを忘れ
慌てて撮ったのが家に飾っていた正月っぽいもの。

私は東京で生まれ育ったが、
何度目だろうか日本の大きな地震は。
最初は、小学校2年生の阪神淡路大震災だった。
あの頃は、オウム真理教の事件もあり
子供の目から見ても日本が大変なことになっていると感じたものだ。
越境入学というのだろうか、
関西から一時的に東京の小学校に通う子もいた。
今思えば、環境の違いや地震のトラウマや不安やらで
その子には私たちには分からない物を抱えていたのだろう。
とても暴力的だったものだから、何だこいつは
と思うことは正直あった。
そして割とあっさり関西へ戻ったので安堵したのも
正直あった。

こうして文章にするとひどいのは私のようだが、
憂さ晴らしの暴力と出会ったのは彼が初めてだったように思う。
いかなる理由があろうとも暴力は良くない、
が、仕方ないと大人が言ったのも覚えている。

私が帰ってくれて安堵した気持ちも
彼が一時的に故郷を離れ周りに暴力を振るってしまった衝動も
「仕方がない」の一言で片付けられる話なのだろう。
きっと。