スマートフォンのこれからについて思うこと
少し前のものだが、wired.jpのこの記事を読んだ。
簡単にまとめると、Mozillaはオープンなシステムと安価な端末でアフリカや東南アジアといった未だインターネットが普及していない地域に乗り出そうとしているといったところだ。
新天地に市場を求めて新たなビジネスを切り開いていくのは企業の取り組みとして至って普通のことだろうとは思う。ただ、実際にやろうとして中々そう簡単に行くものでもないと思う。私はMozillaの主張する、
"インターネットを多くの人々に届けて、彼らに選択の可能性を与える"
という点に共感した。必要であるか必要でないか、普及するか普及しないかに関わらず、何かを選択することができるという自由度はあって悪いことはない。逆に何らかの制限があるせいで何かを選択できない人がいるというほうが問題だ。そういう周囲の状態も含めた上で、物事を選択できるという環境を整えることが大事なのだと感じた。
特に、私は今現在、高齢者向けのデジタル・デバイドを解消することを目的とするインターフェースを提供するアプリケーションを作る研究に取り掛かっているところである。進捗はあまり良くないのだが、その原因には私の中でそれをすることが本当に必要なのかという問に反論できないという葛藤があったのだと気づいた。やっても無駄なのではないかと。意味のない、ただの時間の浪費だという指摘に少し困っていた。だが、そんなことは無いという決心に辿り着くことができた。
先の記事の中で、一連のインタビューを通してMozillaは「選択の可能性」という言葉を2度使っている。それだけ強く気にかけているのだと思う。そしてそれこそが真の自由をもたらすのだと。そう信じていることが伝わってくる。
今後は今までにない、革新を起こすようなことが期待されている。むしろ、ありきたりなことをやっても注目されないことは目に見えている。私が個人的にやっていることが既にありきたりなことであると、自分でも分かっている。しかしイノベーティブなことをやるのは非常に大変なことだと思う。それこそ実力と運が必要だと思っている。
このまとめを読むと書いてあるが、Tizen OSは暗礁に乗り上げたというかもうゴールが見えていないように思える。Tizenが注目され始めた頃は、「第3のOS」として私も注目していたが、次第に発売前にも関わらず注目度が落ちていったと記憶している。新しいことをやろうとして、一時期は順風満帆でも、一度座礁すると船は某映画みたいに沈没するのである。もしくは船頭多くして云々というケースもある。けっこうこういうのは運という要素に左右されるのかもしれないとも思っている。
まあ、もし仮にTizenのプロジェクトがうまく行っていたとしても、発売後に日本で台頭することは無理なんじゃないかと思う。既に日本ではiOSとAndroidによってスマートフォンOSの市場が完全に形成されていて、第3のOSとして市場に入り込む余地は無いに等しい。アプリマーケットもまた1から作り上げないといけないので、それを既にあるライバル製品と同等になるまで持っていくことはすぐには無理だろう。そうこうしているうちにスマートフォンの時代は終わってしまうのでは無いかという気さえする。そういうことなのでやはり1つのことで成功するというのは難しい。
後半はMeeGo時代から知っていたTizenがほぼ終了と聞いて軽く残念だったので付け足しただけだが、とりあえずはMozillaの思想に共感したということを言いたかった。