理想の自分を追い求められる世界
こんにちは、Masakiです。
今日は仕事が少し早く終わったので、最近あった出来事をのんびり考えました。
最近、都庁の友人から連絡を受けて、近況を語らう場面が増えました。戦友と昔の話を肴に、お酒を飲むのは非常に楽しいものだと感じます。
そんな中でよく言われることがあります。
この言葉がどういう意味を持つのかは深く聞いたことはないです。
ですが、「生活を優先するために、自己実現を諦めなければならない」という仕様が現実だとしたら非常に寂しいことだと思います。
※実際は、特に深い意味はないでしょうね。笑
書くきっかけが欲しいので、無理やり、言葉の背景を考えてみたいと思います。
他者から言われる「頑張っているね」とは
本人の意思とは関係なく、人から見たときには様々な意見を言われるものだと思います。
特に「〇〇さんは頑張っているね、私なんて~。」という言葉を使う背景にはどんなことがあるのでしょうか。その言葉の背景をイメージしてみました。
上記は、「困難度」と「多くの人がイメージする理想や夢」を2軸にして、そこにマズローの欲求5段階説をあてはめたものです。
他者から褒めた表現の評価を受ける際には、この「困難度」と「追い求める理想」が高い状態のことを指すことが多いのではないでしょうか。その中でも、自己実現欲求に対する行動というのは、非常に恵まれた環境にのみ存在するため、他者から見たときには、「非常に少ない機会を得たのは凄い。ただ、困難な道に、リスクをおかしてまで足を踏み入れるのは何故か。」という見られ方をしているのかもしれません。(なので、本当は褒められていないのかもしれません。社交辞令とは怖いですね。)
自己実現とは
とはいえ、友人と話している中に登場しているので、実際はそんなに複雑ではないのかもしれません。視点を少し変えてみましょう。
自己実現とは、「自己にとって嫌な状況を回避するための行動」として言い換えることが出来るのではないかと思います。
私の友人の例でいえば「自分の人生をかけて家族を守る。」と言うことが出来ますし、その他の人は単純にまだ未来が見えていないだけかもしれません。
そのため、理想の自分を追い求めるために挑戦しているのか否かは重要ではないのです。
多くの日常生活の中に、自己実現に向かった行動が出ていることに気が付ければ、毎日が楽しくなるかもしれませんね!
私の自己実現
さて、上記では、自己実現≠成長と記載しましたが、成長が伴わないと自己実現しないパターンもあります。いわゆる’いばらの道’というやつかもしれません。
私のように、現状の立ち位置と理想との間に大きな溝がある場合には、その溝を埋める何らかの素因が必要になります。
それが私の場合は、自己成長であったり、周囲(世の中)への理解と考えています。
私はまだ、自分のために、誰にも影響もない範囲で道を歩みだしたところですが、様々な経験を経ながら理想の私に向かって歩んでいきたいと思います。(ただし、一番身近な存在への日々の感謝を忘れてはいけません。。。)
<所信表明>
将来的には誰もがなりたい自分見つけ出し、かつ、それを実現させるために各々頑張れる世の中を展開できるよう、まずは身近な環境から’誰かのためになること’を頑張って取り組もうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
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