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全員に響く文章は無い。八方美人をやめようと思ったたとえ話
僕は八方美人だと身内からもよく言われていました。
八方美人は、誰に対しても良く見せようとすることですね。
それと同じことで、誰に対しても良く感じられる文章を書こうとする考えも無意識に持っていました。
でも行動も、文章も、誰に対しても良く見られるなんてことは無いということに気づきました。
だって、人間なら誰だって、好きなヒト、嫌いなヒト、無関心なヒトがいて、たいてい3:3:4の割合だと思います。
どんな文章でも、行動でも、3割には好かれ、3割には嫌われ、4割は気にも留められない。
どんな人でも。どんな人に変わっても今度はその変わった性格に合わせて3:3:4の割合で好き嫌い無関心が現れるのだから。
だから、八方美人なんてものはおこがましいのだと思いました。
掲題の、たとえ話について。
じゃんけん。です。
グー、チョキ、パー。
✊グーは✋パーに負け、✌️チョキに勝ち、グーとはあいこ。
チョキ、パーも同じこと。
もし全部に勝とう、勝ちたい(=好かれたい)と思って👆グーチョキパーをズルして出したとするとどうなるでしょう。
ズル!しろい目で見られる。
そういうものですよね。
全員に好かれようとする(八方美人になる)というのは、そんなことで
ああ、これっておかしいことなんだと思い、やめようと思いました。
そう考えたら、誰にでも響くいい文章を書こうとしなくなり気が楽になりましたよ。
もちろん、誰かに響く文章は書きたいですけどね。
皆さんはどう思いますでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございました。