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自分のことではない「誰か」に心がかかっている2 『人間』は”ひととひとの間”って書く。ということは。
僕が昔に比べて「誰か」のことについて心がかかるようになってきた、という変化について書いています。
それは、他人に貢献したい気持ちだったり
喜んでほしい気持ちを切らさずにいようとしているからかもしれません。
それが僕の心の在り方について変化を与えている気がします
こんなことを昨日は書いていました。
その続きです。
考えるようになった、というよりも「心がかかるようになった」
ということが自然な気がします。
(”意図して”というより”自然とそうなっている”という感じ。でも意図してるのかな、、?うまく言えません)
どっちにしても、より『人間らしさ』を僕自身が求めているのかも
しれません。
ところで、ふと、人間ってなんで『人間』って書くのか?
って思いました。
人の間(ひとのあいだ)でなぜヒトそのものを指すようになったのか。
調べたら
仏教用語で人と人の間をそもそもは指す言葉だったものが・・・・
(・・逸れると戻ってこなくなりそうなので省略。気になったら調べてくださいませ)
とにかく「人と人との間のこと」、つまり人同士の間のことすべて
を指して人間だと。
思いやったり笑ったり怒ったり泣いたりけんかしたり助け合ったり
生まれて死ぬまでそれを繰り返す
その関係性すべてが人である。
どれだけ風通し良く、良好な関係を気づくか。
それは人格に左右されるかなと感じますが、僕と妻・家族・仲間・友人・仕事関係・近所づきあい、街中で知らない人と。
いろいろ人と人との間で行われていることすべてが人間なんだということ。
一人で生きている人はいませんが
ヒトの本質は孤独。でも孤独は嫌だから人といようとする。家族がほしい、仲間が欲しい、コミュニティをつくりたい
そう求めるのもまたヒトだと思います。
僕は孤独な心をもっていますが、もっと楽しくしたい。
周りももしかしたら同じかもしれない。
そう思って、楽しくなるように人に心をかけている
そういうことかもしれません。
また、もっとまとまったら続きを書きたいと思います。
今日もお読みいただきありがとうございました。