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3ヶ月続けたnote──書く“目的”を振り返る
気づけば、noteの投稿を初めてから3ヶ月以上が経ちました。あらためて振り返ってみると、当初思い描いていた方針とは少し違う方向に走っているような気がしています。当初は、もっと練られた“世界の見方”を投稿しようと思っていたのですが、最近は「定期的に書く」というルーティンのなかで、思いついたことを浅めでもいいから書いている感じ。それが、どうも自分の中でしっくりこない部分があるんですよね。
1. 「書くこと」が目的化している?
確かに、習慣としてnoteを書くことは大切にしています。毎日書くことで忘れにくくなりますし、書くこと自体が楽しくもある。でも、最初に描いていた目標や姿勢とは少しずれてきた気もしていて、「書くこと自体が目的になっているのでは?」と思うときがあります。
2. 後から読み返して「面白い」かどうか
私がnoteを続けるうえでの第一の目的は、「後で見返したときに面白いと思える内容を残すこと」なんですよね。
自分が考えていたことを数ヶ月、数年先に振り返って「こんな視点を持っていたんだ」と驚いたり、懐かしく思ったりする。
この“後から読み返す”面白さがあるかどうかが、大事な判断基準。
そう考えると、最近の投稿は少し分量が多かったり、深堀りが足りなかったりするのかも。自分で読み返したときに、真新しい発見や視点があるかと言われると、やや疑問が残ります。
3. それでも毎日書くメリットは大きい
一方で、やはり「毎日書く」という継続性は捨てがたい。
忘れにくい、習慣として根付く
量が確保できるからこそ、後でまとめ記事を作ることも可能になる
毎日コツコツ書き散らかして、そのなかから“エッセンス”をまとめる形式にすれば、短期的な“浅い投稿”が結果的に中長期的な“深いまとめ”へと繋がるかもしれません。
4. 気になってしまう「伸び」や数字
どうしても「どれだけ見られたか」は気になってしまいます。伸びがあると嬉しく、伸びないとモチベーションが下がるのは人間の性(さが)ですよね。
しかし、この数字を気にしすぎると、本来の継続力が失われやすい
“自己満足でもいいから書く”という原点を見失わないほうが続けやすい
結局、閲覧数や反応は“おまけ”程度に考えたほうが、純粋に自分のペースで投稿を楽しめるように思います。
5. 自己啓発的になってしまう文調
もう一つ気になるのは、書いている内容がなんとなく自己啓発寄りになってしまっている点。
短いエッセイを書こうとすると、どうしても「◯◯が大事」「こうすればいいのかも」といった結論になりがち
それが狙いではないのに、書いているうちに“自分への言い聞かせ”っぽくなる
でも、ある意味それが「今、自分が考えていること」だから、無理に抑え込まなくてもいいのかなとも思う
まとめ
当初の方針と違い、投稿が“毎日書くための短文”化しているが、そこにモヤモヤを感じる。
後から読み返して面白いものを残したいという目標を再確認。
毎日書くメリットは大きいので、あえて“量産→後でまとめ”というアプローチもアリかもしれない。
数字(閲覧数など)に左右されすぎないように意識したい。
文調が自己啓発寄りになりがちだが、今の思考の反映と思えば仕方ない面もある。
最終的には、「自分が後で見返したときに、どれだけ面白いか、役立つか」を軸に、毎日投稿+定期的な振り返りを続けるのが良さそう。あえて日々の“浅い思考”を積み重ね、それを定期的に振り返ってエッセンスを抜き出す。そうすれば、3ヶ月後、半年後、1年後…と、また違う視点から見た“自分の記録”が、想像以上に面白いものになるかもしれません。