パチンコ文化人類学【慣れ編】

最近はバイトが憂鬱だ。大学の後のバイトなんかもう最悪。でもこれでいいのかもしれない。文化人類学の基本。非日常が日常になった時、見えてくるものがあるからだ。

最近気づいたのは、パチンコバイトは座れないと言うことだ。やることがなくて暇でも、常にホールを巡回しておかないといけない。だから、とにかく決められた時間内は、あの爆音と光の中に身を晒すのが基本だ。

ある人が言った言葉が腑に落ちる
「暇すぎなんですよ。パチンコバイトは。だから、ウォーキングして時給もらってると思えばいいんですよ。」これだなと思う。

視覚と聴覚はもう情報過多で機能停止しているが、思考は自由だ。バイト中何を考えてもいい。例えば、やりたいことリストを考えるのはどうだろうか。それとも、文化人類学のネタづくりでもいいし、好きな漫画の回想でもいい。とにかく好きなことを考えることが今できることだと思う。

人間関係のストレスは、ないとは言えないけど、前職と比べるとだいぶ減った。まずバイト中しか関わらない人だけなので、連絡が業務時間外に来ることはない。これだけでめっちゃ楽。

切り替えが大事な職業だなと思う。いちいちお客さんに言われたことに落ち込んだり、痛々しい負け方をしているお客さんに心を痛めていたら、しんどい。そんな人はすぐに辞めてしまうだろう。

そう、つまり、考えたらダメなのだ。
ある日、結局パチンコの景品をお金に変えてるシステムってどうなってるんだろうと交換所を覗いた。自分のバイト先がどのように利益を上げているのか、こんなことも知らずお金を受け取ってるってある意味ゾッとする。でも、別にいいか。考えんとこ。もう知ろうとすることをやめた。

他にも、このエラーが出たら主任をよべと言う台のエラーがある。それも、なぜ呼ばないといけないのかいまいちわかってないが、まぁいいか、とにかく呼べばいい。と言う理解をしている。

むしろ知っていては不都合なことが多い。スロットの設定、パチンコの仕組みの詳細、なぜパチンコはギャンブルじゃないと言う設定でギャンブルができているのか。

そんな諦めモードの日々。アルバイトの視点で見れば、時給も高いし人間関係もいいしホワイトだし結構いいバイトではある。でも、ふと自分が何をしているのかをメタ認知した瞬間、生気を吸い取られたような脱力感に苛まれる。


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