最近の記事

尹雄大著「聞くこと、話すこと」感想

先日、 卒業が掛かったフィールドワークでこんな経験をした。 このnoteを読んだ友人が、タイトルの「聞くこと、話すこと」をお勧めしてくれた。〜人が本当のことを口にするとき〜というサブタイトルからしてすでに、今私に必要な本だと感じて即読んだ。こういう本に出会ったとき、バイト終わり腹ペコの時に納豆ご飯をかき込むのと同じ快感を感じる。 ある本で「自然は雄大で美しくて、欲にまみれた人間と違って何も望まない」というような賛美を読んだ時、それは、植物の声を無視して、自分の都合のいいよ

    • バイト中、落とし物で、自己啓発セミナーのメモ書きを見かけた。資本主義の本質がどうのこうのとか書いてあって怖かった。その前は、カード明細ハガキを拾って、リボ払い120万円が請求されていて、それもそれで怖かった。パチンコ屋は、お金と欲望の交差点。

      • パチンコ文化人類学【カウンター編】

        バイトを初めて半年以上経った。その結果、最近カウンターに入るようになった。 カウンターとは簡単にいうと、玉やメダルと「特殊景品」を交換する場所である。 人生で初めて特殊景品を触った。赤・青・黄色の3種類があり、素材はプラスチック、分厚いカードのような形をしており、中に小さな金属が入っている。よく見ると、景品の表示は「ペンダント」となっており、建前上、プラスチックの中にある金属を「ペンダント」として交換しているということになっている。色によって交換できる玉数が違う。 景品の

        • 体がえろーてえろーてかなん

          フィールドワーク、京都から電車で2時間、そこから自転車で1時間かかる場所にある地域で行った。3日前から現地入りし、4日目の今日、卒論をかけた3日間が始まる。 ついに初日。1時間半かけて、ある人が台所をどのように使っていたのかを聞く予定だった。しかし、まっっったく思い通りにいかず、3時間粘って、結局聞きたいことはほとんど聞けなかった。なぜならフィールドワークに協力してくださるおばあちゃんが、自分の人生について3時間みっちり語ってくれたからである。もはや台所にすら入ってない。

        尹雄大著「聞くこと、話すこと」感想

        • バイト中、落とし物で、自己啓発セミナーのメモ書きを見かけた。資本主義の本質がどうのこうのとか書いてあって怖かった。その前は、カード明細ハガキを拾って、リボ払い120万円が請求されていて、それもそれで怖かった。パチンコ屋は、お金と欲望の交差点。

        • パチンコ文化人類学【カウンター編】

        • 体がえろーてえろーてかなん

          卒論のフィールドワークまで一週間を切ったが、自己啓発がキーワードになってきた。自己啓発の主体はサラリーマンのことが多いが、農村の女性もものすごい向上心を持っていたんだな、と最近資料を読みながら思う。農村女性と自己啓発はすごく親和性がある。新しい糸口が見えてきた。

          卒論のフィールドワークまで一週間を切ったが、自己啓発がキーワードになってきた。自己啓発の主体はサラリーマンのことが多いが、農村の女性もものすごい向上心を持っていたんだな、と最近資料を読みながら思う。農村女性と自己啓発はすごく親和性がある。新しい糸口が見えてきた。

          卒業論文_はじめに_下書き

          農村について 現代は男女の格差も都市と農村の差も際立つことはないが、今から50年前はそうでもなかった。 農村に移り住む若者の流行があって、自分自身農村へのノスタルジーがある。 うさぎ美味しかのこぶな釣りしかの川的な牧歌的なイメージ。その一方で、限界集落やったりとか監視し合う村社会みたいなネガティブなイメージ。 これらに共通しているのは「都市から見た農村」ということである。 実際に住みそこに長く生きてきた人たち、移り住んだ人の言葉で農村を語るということに挑戦したい。 特に台所

          卒業論文_はじめに_下書き

          卒業論文_章の構成_下書き

          1970年代から2020年代までの農村における、女性の役割と台所の変化〜滋賀県長浜市木之本町大見に着目して〜1章 はじめに(論文の細かい定義と理由)1-1 時代 1970-2020 理由:フィールドワークの対象者が生きてきた年代。生活改善運動全盛期よりはだいぶ時代がくだるが、商品が飽和してきた時代ならではの改善運動が行われていた? 1-2 地域 農村 理由:都市ではシステムキッチンや団地のブームがあった中、農村では別の時間が流れていた 参考文献:茨城映画 都市と農村の発

          卒業論文_章の構成_下書き

          カモラジオ雑記「綺麗事」

          昨日、春学期最後の授業が終わった。4回生もあっという間に半分終わり、あんなに遅れをとっていた単位も、「卒業できるぞ….いや、させてくれ…..!」というところまできた。 卒業後は就職する人が多い中、私は最後の最後まで迷った挙句、結局就職活動はしなかった。とりあえず畑をして、鳥を飼うということは決めて、ぼちぼち貯金や家探しを進めてはいるけれど、それはいわゆる「進路」ではないよな….など、薄ぼんやりと思う。ふと将来が不安になり、やっぱり就職活動だけでもしておけばよかったかな〜と1ヶ

          カモラジオ雑記「綺麗事」

          パチンコ文化人類学【深夜の恋バナ編】

          24:00、閉店後のパチンコ台を拭きながら、「すきぴがいる」と脈絡もなく話し出す18歳のギャル。 専門学校に通いながら、バイトを掛け持ちし、更に恋もしているなんて、いったいあなたの1日は何時間なんですか、と言いたくなるのを抑えて、「お!どんな人なの?」と聞いてみる 21歳で、社会人。何かのイベントで知り合い、一目惚れして、インスタのDMでアプローチを図っているらしい。しかし返信がそっけなく、会話を続けるのに苦労しているらしい。「もういっそのこと会話を途切れさせた方がいいの

          パチンコ文化人類学【深夜の恋バナ編】

          パチンコ文化人類学【スヤスヤ編】

          パチンコ屋の隅にある薄汚れたソファで、スヤスヤ眠る男の子がいる。 服装は、いわゆるヤンキーという感じだが、ほっぺたの丸さが、18歳なのかどうかも怪しいほど、幼い。耳が痛くなるほどうるさいこんな場所で、彼はスヤスヤ眠っている理由はなんなんだろうか。 私は彼の何者でもないけれど、本当なら毛布をかけてあげたいところである。

          パチンコ文化人類学【スヤスヤ編】

          自己規範を超えて

          昨日から一昨日書いた文章に追記 最近の自分は、親や保護者の干渉から逃れたい、もしくは逃れるべきという思い故に、カネがない、カネがない、、と、今度はカネに支配されすぎていると感じた 知らぬ間に、自分で自分の規範を作っていた もう少し矛盾を抱えた生き方をしてもいいような気がする 例えば、スタバで資本主義を批判するとか、カネがないと言いながらカフェでケーキセットを頼むとか、自立するべきといいながら誰かに頼って生きるとか、、、 自己矛盾の先に、新しい自分をみる 多分これがア

          自己規範を超えて

          生きるための

          椎名林檎の「ありあまる富」という曲を何気なく聴いて、椎名林檎は真面目な人なんだなぁと思った。 僕らが手にしている富は見えないよ 彼らは奪えないし壊すこともない という歌い出しに、 とはいえ、生きていかないといけない と私は無意識に思った 明日のご飯を、好きな本を、家を、守っていかないといけない。そのためのお金を稼いでいかないといけない。 それが構造的暴力だと思った 全てのものに価値がつきすぎるこの社会を批判したあと、平気でアルバイトに行く自分自身がそれを体現していた

          生きるための

          パチンコ文化人類学【店長編】

          ある日、出勤したら突然店長が違うひとになっていた。 そして出勤の時に通るドアのパスワードが変わっていて、締め出されてしまった。 私が出勤していない間に、店長はパワハラで退社していた。びっくり。 しかも即日退社だったっぽい。 大事な機密情報を漏らしたとか、会社の利害に直結する内容じゃなくても、即日退社させられる会社って結構いいんじゃないかと、むしろ株が上がった。 新しい店長と面談があって、何か困ったことはありませんかと言われたけど、あるわけもなく、ヘラヘラと「ないです〜」

          パチンコ文化人類学【店長編】

          パチンコ文化人類学【慣れ編】

          最近はバイトが憂鬱だ。大学の後のバイトなんかもう最悪。でもこれでいいのかもしれない。文化人類学の基本。非日常が日常になった時、見えてくるものがあるからだ。 最近気づいたのは、パチンコバイトは座れないと言うことだ。やることがなくて暇でも、常にホールを巡回しておかないといけない。だから、とにかく決められた時間内は、あの爆音と光の中に身を晒すのが基本だ。 ある人が言った言葉が腑に落ちる 「暇すぎなんですよ。パチンコバイトは。だから、ウォーキングして時給もらってると思えばいいんで

          パチンコ文化人類学【慣れ編】

          岡崎公園で本を読む

          今日は岡崎公園に来た。昼寝をした後、持ってきたスパイスカレーを平らげて、スタバでアイスコーヒーを買ってテラス席に座る。 友人にもらった、「月と散文」を開く。 開いて、目で文字をなぞり始めた途端、急に周りの音が耳障りになる。 右隣の中国から来たであろう観光客たちの声。左側の少しやんちゃそうな家族連れのバカ笑いする声。着物を着てばえ写真を撮ろうとする女子高生。 集中できずnoteを開いたら次第である。

          岡崎公園で本を読む

          キュッキュッ

          昨日は小雨で、これくらいなら大丈夫だろうと自転車で大学へ行った。 帰りに、大宮の大垣書店へ寄った。 今気になっている本をチェックして、そういえばこんな本も欲しいと思っていたなぁと考えながら本屋を散歩していると、自分の靴が濡れていて、床がツルツルしているからか、私が歩くたびに、幼児が履いているサンダルのような「キュッキュッ」という音がなる。 最初はあまり気にしていなかったが、BGMのない静かな本屋では、あまりに音が響くので、だんだん恥ずかしくなってきた。 どうやら右足の

          キュッキュッ