あの日揺さぶられたのは、大地ばかりではない。
モノを怖がらなさ過ぎたり、怖がり過ぎたりするのは易しいが、
正当に怖がることはなかなか難しい
寺田寅彦
ただ闇雲に恐怖する病ではなくなったものの、罹る年齢や種類によっては、
まだまだ半ば余命宣告と同じほどの重さを持ったがん告知。
そうして、それから治療を開始し天寿を全うするまでの時間は、
当事者にとってはもちろんだが、家族にとっても大事なものだ。
これまで頑張って来た、後悔はない、
やれることはやりきったんだという気持ちを持つための時間と、
今までは見えなかった、漠然とした「死」という現実をしっかり見据え、
受け入れていく時間だからだ。
であるからきっと、長い闘病の末旅立った故人へ掛ける言葉は、
お疲れ様でした、よく頑張ったね。で、それはまた、家族を失った喪失感を抱えて生きる家族への、労いの言葉でもある。
しかし、突如としてその人との日常が奪われてしまう事故や事件、災害での死は、その期間がないままなので受け入れることがなかなかできない。
いってらっしゃい、じゃあまた明日ね
と言って手を振ったのが最期になるなんて、私を含め凡その人は微塵も思っていない。
明日は当たり前の顔をして、必ずやってくると誰しもが思っている。
けれど、そうではないのだ。
明日は
「100%に近い確率でやってくるかもしれない」ものに過ぎない
そして、その確率は全く予想のできない、あまりにも不確かなものなのだ。
ということを、改めてコロナ禍は私たちの前に突きつけた。
ドイツにある都市、ゲッティンゲン。
ここには、太陽を起点とした太陽系を、
20億分の1の縮尺通りに再現した惑星のオブジェが街中に立てられている。
本書の主人公はそこで、九年前に津波に呑まれた行方不明の同級生の存在を
いまだ受け入れられないまま生きているが、ある日、その彼がこの街にやってくるとの連絡を受け、恐る恐る迎えに行くところから物語は始まる。
あたかも、太陽から54億㎞以上も離れた遠い星、冥王星が突然目の前に現れたかのような驚きを携えた奇妙な邂逅は、主人公を不可思議な世界へと誘っていく。
1ページ目から淡々と続く情景描写に湛えられた、
溢れんばかりの静謐さは、序盤の同級生登場で既に、
小さなクライマックスに達したような力強さを持って読者に迫る。
そうして、現実と九年前の悲劇、過去が、街中に据えられた惑星のオブジェの起点と共に、それ自身の持つ距離感を間違わないで保ちながら、
主人公の目の前に現れては過ぎていく。
描かれる季節は夏
照りつける日差しの下でそれらと共に歩いて歩いて、やがて森の中、1つの塔を登ると、過去の人たちは一人、また一人と消え、
そこにはまた、青々と茂る森があるばかりである。
1行目から釘づけだった。
何の気なしに読み始めて、あっという間にその筆致に引き寄せられた。
それくらい情景描写が素晴らしい。
選ぶ言葉、言い回しがただひたすらに美しい。
さらに、登場人物分と読者自身が持つ、ある一つの出来事、ここでは東日本大震災について、様々な場所と時間で止まったままの当事者性 を、
いくつもの現在過去未来、時空を融合させながら描いていく。
また、どこからが心象風景でどこからが現実のものなのかがわからない、
ふわふわとして定まらない、忘却の彼方へ落ち込んでしまいそうな記憶のような、掴みどころのない終わり方に読後しばらくの間呆然とした。
白昼夢を見たような余韻に、一体何を読まされたのだろうという思いもよぎる。
だが、そこには確かに石沢さんが言いたかったことがあった。
これは贖罪の巡礼
遺された者が背負う、打ち付けられた、見えない十字架の如き忘却への罪悪感と、九年前に突然喪われた人との距離感が掴めず、持て余している彼らの記憶を受け入れる旅。
そこに、はっきりとした輪郭を持ったものは、一つも登場しないはずだ。
世界の名画、名作へのリスペクトも散りばめられた、162ページの祈り
マジックリアリズムの技が光る、ある種の衒学文学ともとれる、
これぞ「文字を使った芸術作品」
第165回上半期芥川賞 受賞作
多少の荒削りさはあって然り
デビュー作で2つの賞を受賞した、この感性と感覚、筆致にそこはかとない思考の深さを感じました。
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