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世界中の女性が断絶しない為に。

顔を洗って歯を磨いて、髪を整えて化粧をする。
最近太ったなと自分の体を眺めて、ダイエットしようと
誰にも聞こえない声で、小さな決意を呟く。
パーマが取れかけだから、今度の休みは美容院を予約しよう。
ネイルも塗り直して、デトックス用に入浴剤でも買おうか。
私、頭の先から足のつま先まで、そんなに「女」ではないけれど、
これぐらいのことは考えて生きている。
それが普通だと思っていた。
そんなもんだよね?

後頭部一発、思い切り殴られた気がした。
問題はもっとずっと、奥の方だし根源的だった。
全ての「女性として」の行為の存在と意味を一から考えるなんてこと、思いもしなかった。
足元から崩れ落ちるような感覚に襲われた。

なんだかんだ言ってお化粧すれば気分もしゃきっとするし、美容院に行けばテンションも上がる。
きれいな爪は視界に入るたびに自己満足を促し、痩せれば嬉しいのだ。
しかし、個性個性と言っても、なんとなく流行りのヘアスタイルにメイク、ファッション。それを考えながら私たちは生きる。
会社に行けば、「女性として」の立ち居振る舞いを察してこなせないと、
いくら仕事ができても評価はあまりよくない。
大企業になればなるほど、重要なポストに女性は少ない。
そういえば昔、男性社員から、
女のくせにと女なんだからを散々言われたことがある。
仕事ができれば「女のくせに」
給湯室の掃除とかそういうことは全部「女なんだから」

働く女性だけではなく、結婚や、結婚すれば出産、一人産んでも二人目は?というあらゆる女性を取り巻く物事について回る、よくわからない価値観がある。そういうのは一体どこから来たのか。
本書の著者は痛烈に私たちに投げかける。
どうしてそれが是となり正義となり、もはやそう在ることができない人は女性として劣る。
とすら思われるようになったのか。

別に結婚してもしなくてもいいじゃないか。子供を産もうが産むまいが、
子供が一人だろうが二人だろうがぶっちゃけどうでもいいでしょ。
そんなに気になる?

その人の人生はその人のもので、人の人生を他人の価値観で諮るべきではない。人には事情がある んだ。
なのに、働く独身女性の風当たりは強く、主婦は家という枠に押し込められる。悲しいことに、女性同士でもそれが行なわれるのだ。

その、私の後頭部を思い切り殴った本書の著者、キムさんの住む対岸の国では、やれコスメだのダイエットだの整形だのと騒がれているが、それは女性を取り巻く状況が深刻が故だった。

韓国におけるGEM(ジェンダーエンパワーメント測定:女性の政治参加や経済界における活躍、意思決定に参加できるかどうかを表す指数)は、
102カ国中83位とかなり低い。(日本は38位)
だからか、本書を読んでいて、心の底から韓国に生まれなくてよかったと思ってしまった。ごめんなさい。
あまりにも女性の人生ハードモードがすぎる。

国全体がそういう価値観で、生まれた時からそれが当たり前の社会で、
おかしいんじゃないかと声を挙げること、そもそも疑問を持つことは破壊的に難しいが、キムさんは気づいてしまった。
自分が40代に突入し、韓国では性的対象から外れたことで、信じ込んでいた主体性は、単なるマーケットに刷り込まれたものだったと。

このまま歳をとると、何か得体のしれない生き物になるような気がする瞬間が、私にも時々ある。
だから、キムさんの気持ちはわからなくない。
ネットを探せば1秒で、40代独身女性は男がいなくても平気とか、男を見る目がないとか、アラフォーで1度も結婚してないのは良くないとか、本当に、こういうの書いているライターさ、ちょっと出て来いよって思う一方で、頭の片隅にちらちらもする。

私も気づいたかもしれない。
このアイデンティティは刷り込まれたものなんじゃないか。
だとしたら、私は一体何者なんだろう。

枯れない。しおれない。簡単には折られない。
私は花じゃない。
火花だ。
                   本文より抜粋

女性は、男性のために手向けられる花ではない。これからの生き方を考えるきっかけになる良書。
女性はもちろん読んでほしいのだけれど、男性諸君、これを読んで想像して欲しい。
イケメンで仕事ができないと、マーケットから振り落とされ、蔑視される世界を。

私は、個々の事情を考えない「平等」ではなく、全てのものを同じように扱うという無理な「公平」でもなく、個々の状況を鑑み、そのうえで平等・公平であろうとする「公正」な判断のされる世界を望みます。

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