牧島竜也

ウガンダ共和国生まれ 茅ヶ崎育ち 飛騨国府在住  妻と2人の男の子と暮らしています 田んぼや畑をやりながら 家で「village音楽塾」という名前で音楽教室をやっています 家のリフォームなど大工仕事が好きです

牧島竜也

ウガンダ共和国生まれ 茅ヶ崎育ち 飛騨国府在住  妻と2人の男の子と暮らしています 田んぼや畑をやりながら 家で「village音楽塾」という名前で音楽教室をやっています 家のリフォームなど大工仕事が好きです

最近の記事

音楽は僕らの暮らしに戻って来る

僕はヴィレッジ音楽塾という名前で音楽教室をやっている。 今現在うちで楽器を練習しているのは、ほとんどが小中学生。 友達が友達を呼んで着々とその人数は増えている。 その子達に対して僕が出来るのは機会を作ること。 みんなで楽器を演奏する楽しさを発見する機会、ライブをやる機会、レコーディングする機会、イベントを運営する機会、それで面白いと思ったら自分達で続ければいい。 そこからローカルヒーローが生まれたりして、この地域の人達の暮らしを面白くする事に貢献できればと思っている。 僕がや

    • 操法大会と全体主義

      最近消防団を退団した。人数が少なくなって来ているので申し訳ないなと思いながらも。  これは操法大会に出場した時の話。  知らない人もいるかと思うので説明しておくと、操法大会というのは、火事が起きたのを想定して、防火水槽から給水しホースを繋げて伸ばして消火するまでのタイムと所作の正確さを競うというもので、最終的には全国大会まである。 立っている時の足の幅や角度、走る時の姿勢や拳の位置、腕の振り方など、かなり細かく練習して体に覚え込ませる。 とにかく減点されないように完璧な動作を

      • 蜂のように勇敢に

        稲の稲架干しの準備をしていた時だった 背中に突然チクッと激しい痛みが 背中に手を伸ばすと今度は手の甲に 顔を上げると数メートル前方の空中で一匹のアシナガバチが俺を睨みつけている 目を逸らせず じっと彼の姿を見つめながら 泣きそうになった 痛かったからではない 彼の勇ましさに感動していた その勇敢さが俺にも欲しいと心の底から思った 仲間を守るため 自分を握りつぶすことも出来るほど巨大な相手に立ち向かうのだ 進撃の巨人で1番好きなシーンは エルヴィン団長が 片腕を巨人に食われな

        • 神というクライアントは決して急がせる事がない

          我が家は常に、あらゆる所をリノベーション中。 今使っている洋式トイレは配管を設備屋をやっている友達に相談したりしながら1年くらいかかって作った。 ツリーハウスは部屋が壁で全部囲われないまま階段が朽ちて来てしまっている。玄関もまだやりたい事はあるし、音楽室を防音にしたいし、手をつけ始めた寝室を早く作って欲しいと言われているが、急遽鶏小屋を作り始めている。 「いつになったら完成するの?」といつも苦笑いされる。 常にそんな軽いプレッシャーをかけられながら少しずつ進めてきた。 でも家

          両面宿儺の伝説を巡る

          日本最古の歴史書である日本書紀に登場する両面宿儺。 顔が2つ、手が4つある飛騨国の怪物で、大和朝廷の武振熊(たけふるくま)と言う人が退治したと記述されている。だけど地元の言い伝えでは、日本を統一しようとする大和朝廷に抵抗した、原住民のリーダーとされている。  前回の記事で両面宿儺に触れたので、今回は宿儺好きな友人数人で、伝説が残っている地をめぐるツアーをした話。 そのツアーを決行したきっかけは、宿儺の伝説が飛騨地域だけでなく、美濃地方(岐阜県南部、旧美濃国)にも残っていると

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          それぞれの物語を生きる

          飛騨には両面宿儺(すくな)と言う英雄がいます。 日本書紀に登場する宿儺は顔が2つ、手が4本ある怪物で、悪者のような描かれ方をしています。 ですが、飛騨では侵略者たちから自分たちの場所を守ろうとした原住民の勇敢なリーダーだと思っている人が多いです。 おそらく昔からそう伝わって来たのでしょう。  歴史的文献というのは大抵、時の権力者にとって都合の良いように書かれているものです。 しかし、それは歴史の話だけでは無く、報道などでも同じことが言えます。 仲の悪い国同士であれば、相手の印

          それぞれの物語を生きる

          幸せってやつがこんな所にあったなんて

          5年ほど前の話しだけど、その一時期の僕は珍しく結構働いていて、それなりに現金収入もあった。その為、例えばそれまでだったら、寒い時期は薪がなくなったらやばいと必死に薪を作っていたのに、薪が無くなったら灯油買ってきてファンヒーター使えばいいでしょって感じになって来て、ボタン押せば部屋が暖かくなるなんて、なんて快適なんだろうとか思いながら、いわゆる普通の生活にはまっていた。 そんなある日、朝から家族で街に繰り出し、昼飯時になって、用事は済んでいたけど、これから帰って食事を作るのも

          幸せってやつがこんな所にあったなんて

          幌が生まれた時のこと

          人生の転機は幾度となく訪れるものだけど、その中でも特に僕にとって大きな転機となったのは長男の幌(ほろ)が生まれた時だった。僕は出産に立ち会って分娩室に入っていた。 当然の事ながら先生も助産師さんもあさこちゃんもあさこちゃんのお母さんも、みんなが一丸となって幌の出産に集中していた。 もちろん僕も言われるがままにできるだけのサポートはしていた。 そして生まれた瞬間、「俺は主役じゃなかったんだ。」と思った。 地球上のどの生き物だって、自分個人の利益なんて考えずに、この地球の

          幌が生まれた時のこと

          人間にとっての自然

          数年前に友達が癌で死んだ。 医者に余命3ヶ月と言われてから数年の後の事だった。 そんなに頻繁に会っていた訳ではなかったけど、久々に会うといつも同じような事を考えていたので、同じ時代の空気を感じながらともに成長している同志という思いがあった。 最後にちゃんと話をしたのは彼がうちに遊びに来てくれた時で、全体的な話の内容は覚えていないけどひとつだけしっかり印象に残っていた。 「残りの人生 俺はもうボランティアみたいな事しかしない。」 最近になってその言葉が突然またストンと降りて来

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