デザイン日本一を目指すことにした。
ぼくは、現在45歳。
今だに、必死こいてプレゼン資料を作って、デザインをして。週の半分、夜を朝に変える。
「毎日、なんでこんながんばってるんやろう。もう45歳。もっと、どっしり生きれば良いのに。ダサいよな〜。」とか正直、思う。
デザイナーとしては、ほどほどでよかった。
自分が納得するまで、デザイン力を高めたい。自分の手の届く範囲で、自分だけが楽しくデザイナーとして食べていければそれでいい。デザインなんて5年で飽きる。どうやって飽きないように生きようかなと冷めて考えていたと思う。
昨日、ぼくが代表を務める株式会社NASUから沿革の記事が公開された。振り返るとぼくはずいぶん変わったもんだ。
NASUという屋号は「為せば成る」なるから由来してる。王道でベタすぎて恥ずかしいけど、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が死ぬほど好きで、作品としてのクリエイティブ指標として、NASUが苦しくなったときに支えになる言葉として選んだ。
そして「デザインを為す、デザインで成す」と銘打った。デザイナーは、他人の夢にあいのりできるのが特権だ。ぼくは本来、裏方の職人みたいな人間だった。(昔を知っている人は今の活動に驚いている)
屋号を自分が大切にしている言葉で置き換えた。そうして、最終的にNASUに決まった。
デザインのことを、誰も知らないし、気づいてすらいない。
デザインは社会において必要不可欠だ!なんて、「自然を大切に」くらい当たり前すぎる話。いざ、自分が独立して社会というサバンナで生活してみると、想像以上にデザインの価値が伝わってない悲惨なこととわかった。
必要性、存在すら気づいていない。デザイナーとしてこんな悔しいことはない。
念能力を持たないゴンやキルアが、極寒の地に裸で足を踏み入れていることにも気づいていないやつだ。連載再開が決まってうれしい。
会社員時代では当たり前だったゆえ、余計にそう感じてしまったのかもしれない。それは気づいてない人が悪いのではなく、それを伝えられてないデザイナー側が情けないと思った。伝えることがグラフィックデザイナーの本領発揮のはずなのに。
世に本当にデザインが浸透しているのであれば、もっとデザイナーの地位は上がっているし、フィーも削られることはない。一部の人にしかデザインは使われていないし、伝わっていない。
デザインはもっとこうあるべきだ。高尚な言葉を並べるのもいいのですが、ぼくは違うあるやりかたに自然となっていった。
それは、デザインのおせっかい。
それが、NASU-noteというデザインのおせっかい活動始まり。(現在は閉鎖、NASUメディアに進化しました)デザイナーは、こんなふうに考え、こんなふうにデザインしてますというような話を書いた。
ノウハウや思考を包み隠さず、背伸びをせず、発信し始めました。任天堂時代は誰かがやってくれて、やる必要がなかった“デザインの言語化”もデザイン力を高めたいぼくにとってはよかった。
2016年当初、当時はブログもSEO全盛の時代で、世の中の困り事を検索して解決するっていうのが主だった訳ですが、ぼくの場合は、必要なことかすらわかんないことを書き続けた。
「ロゴの作り方」という、デザイナーの手の内、頭の中をまるまる見せる記事はやっている人がいなく、反応いいのが予想できたのですが、デザイナーの転職活動の苦悩をつづったノンフィクション記事が反応良かったことに驚いた。
これをきっかけに、あまりデザイナーがしない“さらけだし”がエスカレートしていった。
そういえば、今、NASUの広報担当である浜田さんに最初に会った初日、浜田さんのアイコンとブログのデザインおせっかいをしました。浜田さんは「前田さんが初めてのグラフィックデザイナー」と。それまで、グラフィックデザインの仕事をしている人を知らなかったし、かすりもしなかった。デザインは、まだまだせまい世界にある。
誰かにとっての初めてのデザイナーになるというのは、ぼくの「デザインのおせっかい活動」をますますエスカレートさせた。
おせっかいから「デザインは楽しい」へ。
デザインのおせっかい活動を続けていくと、みんな目をキラキラしてデザインを素直に喜んでくれた。デザインが楽しいと思ってもらえるきっかけになった。
その反応が気持ちよかった。
実は、2017年はデザインより写真撮影をしていた。人生初のセミナーで、おせっかいの極地「愛のダメ出しコーナー」というのをやった。誰から頼まれてないのに。その参加者さんに、「デザインうんぬんの話の前に、写真がダメです。ぼくが撮影しますよ。」と始まった。
個人事業主の場合、どんなに良いロゴデザインしてもプロフィール写真の方が即効性がある。良いロゴを提供しても他がダメなら意味がない。撮影だけでなく、髪の毛や服装のスタイリングもやった。
before → afterの落差が大きく「デザインでこんなに変わるんだ」と面白がってもらえた。またまた、おせっかいがやみつきになる。ひととおりやって欲がでてきたので、次のフェーズに挑戦したくなった。
おせっかいから、広げるへ。
基本活動は、おせっかいをすることでデザインの価値を広げていく。もっとデザインを広げるにはどうしたらいいか?を考えるようになった。
ぼくは、フリーランスになったデザインを書くことに注力していた。ぼくが駆け出しから、最もお世話になった人のひとりはコピーライター出身。今までは、その人におんぶに抱っこだったけど、独立後はそうはいかない。デザインのおせっかい活動の中で、書くことをやってきたぼくは、必然的にライター、編集者に惹かれるようになる。
デザインを書く。ブログを書いてきたから、本を作りたくなったのは必然で、ぼくが任天堂のときに携わっていた会社案内みたいに、前田高志のブランドブックを通じて、デザインを啓発していこうと考えた矢先。
そんなとき知ったのが、幻冬舎の箕輪厚介だ。明確に狙いがあったわけじゃなく、たまたまと流れ、縁と運。箕輪編集室に入る。自分のブランドブックを作るヒントにもなると思ったのかも。
デザインが広がりそうなところで、新たなチャレンジの一歩を踏み出した。
結果、前田高志というデザイナーを広く知ってもらうきっかけになった。ぼくが箕輪編集室にいると「ガチの人」と言われることがあって。であれば、「誰かにとっての初めてのデザイナー」は確実に広がっている。
そのまま、箕輪編集室にずっといるともっと早く広く拡大していったかもしれない。そもそも、楽しかったし。でも、もっと楽しみたい。「デザイン」の箕輪編集室のような自分の思想の場所を作りたいと思った。
それが「前田デザイン室」だ。
前田デザイン室は、悶々としたクリエイターを救う。クリエイターストレスの発散の場所とした。「永遠の童心」というクリエイティブコンセプトや、「おもろ・たのし・いいな」という行動指針も作った。
クオリティ主義や、商業主義を捨てて、クリエイティブ脳をフル活用する。「デザインは楽しい」を追求する。
この時まだ、NASUはぼくひとりぼっち。
会社にすらなっていない。
前田デザイン室の活動をしているうちに、NASUを法人化することになった。理由はシンプルで、信頼する税理士さんにオススメめられたからだ。それくらい、NASUには会社経営には無頓着だった。会社なんて大きくしないし、自分が楽しく生きられればいいと考えていた。
驚くことに、まだ、つい4年前のことだ。
今は、本気で日本のお茶の間にまで、「デザインは楽しい」「デザインはすごい」「デザインは誰でも」を浸透させたいと思っている。
なぜ、そこまで思うようになったのか?
デザインを遊んでいたら、NASUが大きくなった。
それが、前田デザイン室で活動するにつれ、たくさんの人と出会い、感化され、考え、挑戦をループした。
前田デザイン室でデザインを遊んでたら、それにつられて、NASUが大きくなっていった。デザインを広げて、それにつられて成長が必要になってきた。
という感じだ。
今やNASUは、ぼくを入れて9人だ。NASUが急成長している。成長せざるを得ない。間違いなく、NASUの成長がぼくを成長させてもらっている。
スカスカだったおもちゃ箱を豊かにしていってくれてるのは、NASUや前田デザイン室のメンバーたちです。ほんとに感謝しかない。
本当にいろんなことをやってきた。もはや、数え切れないくらい無数にやってます。前田デザイン室とNASUで。
ぼくの『勝てるデザイン』の編集者が「前田さんは雑多」といってくれて、ぼくは、雑誌みたいだなと下の項目を見るだけでそれがわかる。
・オンラインで制作した雑誌の出版
・地方講演
・漫画家を目指す
・アシスタントの雇用
・noteを本格的に書き始める
・クリエイターギルドを設立
・クリエイティブディレクター契約
・24時間zoom配信
・自社メディアをスタート
・ビジネス書を出版
・電柱広告や駅のOOHを出向
・デザイン書を出版
・ギャラリーの設立
・企業講演や大学講演
・新卒採用
・勝てるデザインギプス
・デザイナードック
・フリーランスと会社員のいいところどりの人事制度
・クリスマス、BAR、CAMPなどのデザインイベント
・オフィスのデザイン
ああ……、書ききれない。
多い。
でも結局、やっていることはたったひとつ。
おせっかいからの広がれ!デザイン活動だ。
「デザインを知らないのなんてもったいない!見てみてー!」ってな感じで。
日本一おせっかいなデザイナーを目指します。誰も頼まれてないけど。今回、いろいろ振り返っていたら、「おせっかい」というのがしっくりきた。
前田デザイン室は、日本一楽しいデザインを実験するチーム。NASUは、日本一デザインを楽しみ、結果を出す会社にしたい。
その集大成が、オフィスのデザイン。
ぼくはオフィスを「パーク」と呼ぼうと思っている。アンディ・ウォーホルは「ファクトリー」と呼んでいたところに意思を感じるから。
この場所は、ぼくの意思をぶっ込んだ場所「デザインが良くなる場所、デザインのパワースポット」。デザインを楽しむことでクオリティが上がる信念の場所にしました。
ちなみにパークは、まだまだ完成していない。
デザインは楽しい。
デザインはすごい。
デザインは誰でも。
家庭の医学のようにお茶の間にデザインをお茶の間に浸透させたい。デザインの考え方は、生きるのにずいぶん役に立つ。
みんな知らないと思うけど。
みんな知らない。
これをおせっかいで壊したいんです!
それを実践する。
「日本のお茶の間にデザインを」をみんなで一緒に実践していきたい。
ぼくの究極のデザインのおせっかいからの、広がれデザイン活動に共感してくれる人がいたらうれしい。
今年、一世一代の大勝負。
大きな一歩を踏み出しました。
オフィスのクラウドファンディングを始めました。支援してくださいとは言いません。(でも支援してください。リターンで全力で返します。)あ、言っちゃった。
シェアなど応援してくれるだけでも、泣いて喜びます。
何卒、よろしくお願いします。
本日、10月12日(水)19時からクラウドファンディングがスタートします。
Photo:©Yoshiro Masuda