「被害者の声なき声」忌野清志郎の言葉。
(忌野清志郎の言葉26)
不穏な空気が漂う世の中。いざというとき、警察は力になってくれるのだろうか?
そんな疑問を抱くことがよくある。ストーカー行為にあったことはないが、
警察がうまく対処しないことにより悲惨な結末を迎える事件は今も少なくない。
日本では、2000年11月に「ストーカー規制法」が施行されたが、
きっかけとなった殺人事件がある。清志郎は、それを題材に歌をつくった。
ラフィータフィーのアルバム「夏の十字架」に収録されている曲だ。
人々が警察の「無力さ」に対して抱く不信感や不満を、
ストレートな言葉で訴えていく。
詩的な表現やレトリックというものは感じられない。
しかし、清志郎が、こだわったと思われるフレーズが出てくる。
事件の前ではなく、事件の後を描いた歌であることが
ここで明かされる。歌い手は、被害者自身であり、もう亡くなっているのだ。
警察への怒り、憤りを、第三者が表現するのであれば、
激しい曲調にして、強くシャウトするべきだ。
しかし、歌い手は、被害者自身であり故人だ。
だから、ミディアムテンポで、淡々と歌ったのだと思う。
あきらめたような、悲しみに包まれたような、歌声。
意図的に、そうしてるのだろう。
そして、次のパートではやや調子を変えて、
歌っている。唯一、怒りを感じさせる部分だ。
何やってんだ警察!と第三者が怒鳴るより
被害者自身の声の方が、よく届く。
強い怒りよりも、深い悲しみを表現した方がいい。
清志郎は、そう考えたのではないだろうか。