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「水の泡」忌野清志郎の言葉。

(忌野清志郎の言葉37)

「水の泡」という曲がある。忌野清志郎率いるロックバンド・ラフィータフィーの
アルバム「夏の十字架」収録曲。歌の中に出てくる「みんな水の泡」という
フレーズは、60年代を代表するソウルシンガー、ウイルソンピケットの代表曲
「In the midnight hour」を日本語に変換したものだと思う。


youtube忌野清志郎オフィシャルチャンネル「水の泡」

水の泡 作詞:忌野清志郎

この目に映る風景が
昨日とちがう Blue Blue Blue

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歌い出しのフレーズが、主人公の悲しみの深さを伝えている。
頭の中がまっしろになって、現実(目の前の風景)を受け止められない。
そんな描写のようだ。いったい、なにがあったのだろう。

その答えは、次のフレーズで明かされる。

あの娘は行ってしまった
あんなに愛したのに

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愛する人を失ってしまったようだ。
「愛しあったのに」ではなく「愛したのに」
と歌われているので、片思いなのかもしれない。
喪失による、つらさ、悲しさ、虚しさ、
今の心境が延々と綴られ、
みんな水の泡という言葉に落とし込まれていく。

努力も忍耐もさっぱり水の泡

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水の泡になったものは、何か。努力や忍耐だ。
これをどう解釈するかで、曲の印象は大きく変わる。

自分を愛してもらうために、いろんなことをやって、
どんなこともがまんした。
そうとらえると、彼女は高嶺の花。あるいは自由奔放な女性。
いままでの過程がムダになったことを、嘆き悲しんでいるのだろう。
しかし、それでは、ちょっと情けない。必死でがんばったのだから、
いいじゃないか。悲しさというより、くやしさをぶつけているように
感じるし、そういう人物には、あまり感情移入できない。

ちがう解釈もできる。彼女とは実は両思いで、一つの夢を
二人でめざしてきた。それが、突然、永遠の別れがやってきた。
こうとらえると、深い悲しみと合致する。
努力とは二人の夢を実現するためのもの。忍耐も、彼女に対する
ものではなく、仕事など日常のがんばり。
彼女との別れにより、すべてのものが消えてしまったのだ。
「もう あの娘は笑わない」というフレーズも、死を連想させる。

そして、もう一つ。彼女とは、人ではなく夢の比喩だというとらえかた。
これは、夢の喪失を失恋に置き換えた歌なのだという解釈だ。
彼女は行ってしまったとは、夢をなくしてしまったの意。
夢をつかむための努力と忍耐、そのすべてが水の泡になったときの
絶望感を表現した歌なのかもしれない。

この曲も、「スローバラード」(参考)と同じだ。
言葉と音、そして声が見事にとけ合った名曲だと言いたい。



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