「悪い予感のかけら」忌野清志郎の言葉。
(忌野清志郎の言葉36)
広告はビジュルとコピー、歌はメロディと歌詞。この両者の関係は
とてもよく似ているような気がする。言葉だけでは
伝えきれないことを、広告ではビジュアルが、音楽ではメロディが
補ってくれる。メッセージをよりわかりやすくしたり、
ふくらみを持たせたり、あるいは違う意味を持たせたり、
ビジュアルやメロディの持つ役割はとても大きなものだと思う。
歌の場合、歌詞とメロディは、素材のひとつ。
それを演奏者が奏で、シンガーが歌い、血を通わせることによって、
作品となる。ライブだと、さらにビジュアルが加わる。
演奏者やシンガーの表情、パフォーマンスによっても
印象が違うものになるだろう。
RCサクセションの代表曲「スローバラード」。この歌を聴くと、
音楽というのは、歌詞と、メロディ、楽器の音色、歌声、
そのすべてが一体となってひとつの作品なんだな、とあらためて思う。
行間を読むという言葉があるが、この歌は、その行間を
サウンド面で表現したのではないでだろうか。
歌として聴くと、歌詞だけでは感じられなかった、ストーリー、
この主人公の心情みたいなものまで伝わってくる。
愛しあってる、若い男女。二人の日常は、それほど豊かでは
ないのだろう。駐車場で寝泊まりしたりして、先行きが少し不安なのだが、
男は「悪い予感のかけらもないさ」と、それを否定する。
歌詞だけなら、ほほえましいラブソングだととれない事もない。
しかし、歌を聴けば、印象が変わる。悪い予感であふれているのだ。
美しく、かつ哀愁を帯びたイントロ、そしてメロディ。
まるで泣いているかのようなサックスのソロ。そして、そこに
清志郎の声が加わってくる。
「悪い予感のかけらもないさ」と歌われるのだが、「ない」の部分で
声が裏返りそうになり、叫んでいるように聴こえる。
これは、男が本当は悪い予感を抱いているくせに、
「ない」と強がっている。そんな表現なのではないか。
言葉だけでは伝わらないので、歌い方や声で補っているのだと思う。
そして、男が不安に思っているという描写が続く
「あの娘の寝言を聞いたよ」。「確かに聞いたんだ」。というフレーズだ。
きっと、その寝言が安心材料なのだろう。自分に言い聞かせるように、
確かに聞いた、と繰り返している。
「スローバラード」。1976年に発売されたRCサクセションの
アルバム「シングルマン」の先行シングル。
言葉とメロディ、歌と演奏、そのすべてが見事にとけあった作品だと思う。
ちなみに、「スローバラード」は実話をもとにつくられた歌。
清志郎が彼女とデート中に、車がパンク。動けなくなって、駐車場で眠りについた。そんな経験が、この歌のベースになっているそうだ。