
「君が僕を知ってる」忌野清志郎の言葉。
(忌野清志郎の言葉23)
個性あふれる人は、他人に理解されにくく、
孤独を抱えがちになる。
自分のことをわかってくれる人、
それは、何事にも変えられない存在であり、
自分にとって大きな力となる。
人と同じでなくてもいい。
みんなに愛されなくてもいい。
誰か一人わかってくれる人がいれば、それでいいんだ。
清志郎の歌には、そんなメッセージを感じるものがよくある。
RCサクセションのナンバーで、特に人気が高い曲
「君が僕を知ってる」もその一つ。
君が僕を知ってる 作詞:忌野清志郎
今までして来た悪い事だけで
僕が明日有名になっても
いきなりがつんと来るフレーズ。
悪いことで有名になるってどんなことだろう?
いろいろと想像がふくらむ。
悪評が広がるのか、犯罪で捕まるのだろうか。
たとえ、どんなことがあっても、
どんな目にあっても、大丈夫だと
主人公(僕)は信じることができるのだろう。
何から何まで
僕の事すべて
上から下まで全部
「君が僕を知ってる」。
ただそれだけで、こんなに幸せになれる。
そんな歌だ。
ほとんどの人がラブソングだととらえるだろうが、
友情を連想する人もいるだろう。
理解されることの喜びや
理解されないことの悲しみを描いた歌は、
他にもある。
まぼろし 作詞:忌野清志郎
ぼくの理解者は 行ってしまった
君を信じてる 作詞:忌野清志郎
誰にもわからない でも君を信じてる
誇り高く生きよう 作詞:忌野清志郎
君が受け止めてくれる
君の悪い噂 作詞:忌野清志郎
あの子の次に このボクが
あの子を知ってる
そして、孤独を抱える人たちにそっと語りかけるような歌もある。
日本の人 作詞:忌野清志郎
人と仲良くできない人
自分だけが特別な人
人となじめず苦しむ人
いわゆる天才肌の人は、理解されにくく、孤立しがちだ。
清志郎もそうだったに違いない。
RCサクセションには、低迷期があった。
「売れない」つらさと「理解されない」さみしさに
包まれていたはずだ。
自分を「わかってほしい」という気持ちとともに、
自分の分身でもある作品を「理解してほしい」と
強く願っていたのではないだろうか。
わかってもらえるさ 作詞:忌野清志郎
この歌の良さが いつかきっと君にも
やがて、RCサクセションは、「理解してもらう」方向へと舵を切った。
ローリングストーンズのようなバリバリのロックサウンド、
歌のテーマも歌詞も、よりわかりやすいものへと替えて、
それが功を奏し、邦楽ロックの頂点まで登りつめた。
そして、RCサクセションは大人気のまま解散してしまうが、
忌野清志郎は、ソロ活動やさまざまなバンドとの活動で
成功し、ロック界の「BOSS」「KING」としての確固たる地位を築いた。
ただ、晩年の清志郎は、セールス面では、絶好調とまではいえなかったようだ。
どんなミュージシャンにも、ピークというものがある。
それを過ぎると、活動拠点が小さな会場に移行していき、
セールス面でも下降線をたどるようになる。
忌野清志郎はビッグネームでファンの数も多い、しかしレコードセールスや
観客動員数がそれに比例していたかというと、そうではなかったと思う。
「レインボーカフェ」はすげえ評判がいいぞ。めずらしいことだ。
俺の音楽がこんなに評判がいいのはめずらしい。
だが田舎では売られていないんだ。
(中略)
全国で売れるためにはもっと腐った音楽じゃないとダメなのさ。
売れないということは、聞かれない、知られないということ。
それは、とてもつらくて、苛立つことだと思うが、
清志郎は、生涯、本当のこと、歌いたいことを歌い続けた。
誰も知らない 作詞:忌野清志郎
誰にも聴いてもらえない本当のソウルを
愛する人に歌おう