朝ドラ『虎に翼』で描かれた原爆裁判
2024年9月6日、朝ドラ『虎に翼』において1963年(昭和38年)12月7日に言い渡された原爆裁判の判決が描かれた。
結果的に判決では国内法上も国際法上も被爆者の損害賠償権は棄却された。
しかし、ドラマでも描かれているように、実際の判決においても、異例なことながら、主文の前に下記の趣旨の判決理由が述べられた。
(ドラマにもそのシーンは正確に反映されている)
「広島市には約33万人の一般市民が、長崎市には約27万人の一般市民がその住居を構えていたことは明らかである。したがって、原子爆弾による襲撃が仮に軍事目標のみをその攻撃の目的としたとしても、原子爆弾の巨大な破壊力なら盲目襲撃と同様の結果を生ずるものである以上、広島、長崎両市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて、違法な戦闘行為であると解するのが相当である」
「人類の歴史始まって以来の大規模、かつ強力な破壊力を持つ原爆裁判の投下によって損害を被った国民に対して、心から同情の念を抱かないものはいないであろう。戦争をまったく廃止することは少なくとも最小限にとどめることは、人類共通の希望であり、そのためにわれわれ人類は日夜努力を重ねているのである」
「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことはとうてい一般災害の比ではない。被告はこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう」
「しかしながら、それはもはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国会および行政府である内閣において果たさなければならない職責である。しかも、そういう手続によってこそ、訴訟当事者たけでなく、原爆被害者全般に対する救済策を講じることができるのであって、そこに立法及び立法に基づく行政の存在理由がある。終戦後十数年を経て、高度の経済成長をとげたわが国において、国家財政上これが不可能であることはとうてい考えられない」
裁判長が最後に読み上げた次の一文は、今もなお(いや今一層)僕の胸に突き刺さる一文である。
「われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおれないのである」
※上記判決文は、山我浩著『原爆裁判 アメリアの大罪を裁いた三淵嘉子』(毎日ワンズ刊)より引用