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人生の重力の向き

重力とは何か。
簡単に言えば、地球では、その引力と遠心力の合力である。
もっと言えば、物体と物体の間には引力が働くというあの有名な万有引力の法則に由来して説明される事が一般的であろうか。地球上で言えば、物体は地球の中心に向いて運動するという事である。ただし、厳密に「中心」であるわけではない。

最近ふと思ったのだが、人生においても重力のように、自分を引っ張る力が働いているのではないか?と。

運命があるということかと問われそうであるが、それとは異なる。運命とは、どのような人生を歩もうとも、その人のゴールは決まっていて、どのような過程を経ようとも結果は変わらないというものというのが私のイメージだ。

私の考える人生の重力の向きとは、関係性の中で生まれる。自分に関わる人達は皆、何かしらの引力(もしくは斥力)を自分に働かせる存在である。その関係性それぞれの合力が、自分をある方向へと導いていく。それが、私の考える人生の重力の向きである。

例えば、私は陸上競技が好きで、大人になってからもマスターズに出場しているし、マラソン大会にも出場している。

しかし、私の親や親戚に陸上競技と関わる者はいない。近所に住む先輩に、中学になったら陸上部に入れよ!と言われたので、それだけの理由で陸上部に入ったのがきっかけだ。

その後は、高校でも陸上競技を続け、大学ではやらず、教師になってから顧問を務め、教える内に改めて陸上競技の面白さに気付いたものの、10年ほど別の部活動の顧問をすることになった。しかし、その間に自ら競技をする事を始めた。

これを人生の重力という考え方で説明すると、たまたま近所に住む先輩が陸上部だった事から、勧誘された。これが一つの引力である。この時私は、勧誘されたために陸上部以外に関心がなくなった。結果的に他の部活動から誘われる事はなかった。これが、ある種の斥力となった。中学の頃はそこまで陸上競技を好きだったという自覚はなく、サボる事もあったし、知識を得たいとも思わなかった。

高校では、経験していたという理由だけでとりあえず陸上部に入部した。すると、同学年には全国大会に出た事もある者が複数いた。そのおかげで、リレーでブロック大会に出場できた。すると、地方大会レベルにはない雰囲気を感じ、また他の府県に友人ができた。これが引力となり、陸上競技にちゃんとハマるようになった。

その後、教師となり陸上競技をもち、教え子が全国に出場したり、選抜で教えた子が箱根駅伝に出場したりしている。となると、元々短距離だった私が、長距離の駅伝に興味を持ち始めるようになった。これも引力の一つではないだろうか。

そして、東日本大震災があり、被災した子を担任する事になった。
それをきっかけに被災地にボランティアに行く事にした。
今度は、その経験をきっかけにして東日本大震災の復興支援をしている取組などに興味を持ち始めるようになった。そうすると、大規模マラソン大会はチャリティをしている事も多く、マラソン大会の参加費の一部が義援金になるものも当時多かった。
そんな事から、マラソン大会への出場を決めた。倍率4倍を越える抽選だったのだが、当選。

振り返ってみれば、この被災した生徒を担任した事が大きな引力となったと思う。そして、今やマラソンが趣味となっている。

このように、私の人生を振り返ってみた時に、自分で選択しているようでいて、実はある方向に向かって引き寄せられていると言った方が自然な出来事のつながりがある事が分かった。

これが私の言う人生の重力の方向性である。

つまり、どんな人も自分の人生が始まった時は、宇宙にポツンとある静止した点である。それが自らに関わる人の引力が合成され、ある程度方向性を持ち始める。そして、一旦進み始めると、概ね同じ方向に進む。多少の斥力が働き向きが変わるが、始まりの点からすれば、ほとんど同じ方向に動いているのと変わらない。

そして、点が動くということは、加速度を持つということだ。すると、時間が経てば経つほど加速していく。そうなると、斥力が働いても無視できるようになり、ますますのめり込む状態になるだろう。

実は、私たちは生まれ落ちた時すぐ人生に働く重力の方向性をもつのである。

きっと何かしらの必然性があるのだろう。

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