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二人の嘘とノッティングヒルの恋人

私は最近、ある小説を読んで深く考えさせられた。一雫ライオン著の『二人の嘘』である。悲しい不倫を描いたこの作品は、登場人物たちの不器用な愛の形に、どこか自分の姿を重ねてしまい、涙が止まらなかった。特に、妹のために服役する兄と、それを裁く裁判官の生き方に憧れすら感じた。一方、その後鑑賞した『ノッティングヒルの恋人』では、ヒュー・グラント演じるウィリアムの姿に、理想の「誠実さ」を見た気がした。

つまり、ビリー・ジョエルが歌う
♫HONESTYな人はいない♪でも僕はそんな女性をもとめる♫
のような誠実に生きてこれなかった振り返りとなる。
それはまるで、水筒に満タンに水を入れたが小さな穴からポツポツと水滴が垂れながら歩いているような人生を送った人間からの憧れかもしれない。

人を愛したことがないのか?
人に愛されたことがないのか?

ただ、自分勝手に生きてきた自分を恥じる。


告解なのか?


ただ、私なりに悲しい結末の小説「二人の嘘」とロバーツが妊娠している絵で締めくくられるハッピーエンドなハリウッド映画「ノッティングヒルの恋人」の極端さである。

現実的な物語と「誠実に生きると幸せに暮らせるよ」的映画は私の心の中で消化不良になっている。

”人生は、悲惨で残酷なものvs愛は人を幸せにする”がミックスされると説明不明のへんな気分になる・


そして、時間は立つと「それでも私は生きていく」という結論にたった。


また、何も答えを出さず、いい加減に前に進む。

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