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僕の神様

神様はいる。
マニラのカトリック大聖堂に行ったとき、僕は神様と会話した。
神様はいつも僕の願いを叶えてくれる。

「僕のいつか・・・」をいつも叶えてくれる。
結局、僕は変わらない。

僕のいつかは、また、5年後も「いつか・・・」なのだ。

今の結果が今の僕。

その僕がどうしたら変わるかを考えてみても
答えは出るはずがない。

結局「いつか・・・」になるからだ。
今、変われなかった自分の視点でどう変わろうとしても
結果は同じだ。

見方を変えれば考えは変わる。
でも、どう見方を変えるのか?

それは「終わりを思い描く」ことから始まるのか?

僕が死ぬとき、僕は何を残せるのか?
誰が真剣に泣いてくれるのか?
そんなことより、残した家族や恋人、社員、友人などなど
どう生きていくのか?
やっぱり、「この人たちに何かの思い出や生きる知恵を残してあげたい」

思いは、そこに行き着く。

祖父の顔を僕は知らない。
祖母の兄弟は作家や画家だった。
変わり者の人生を送ったのだろう。

小学校高学年のとき、渋谷東急で個展が開かれたので
初めて一人でバスに乗って行ったことがあるけど、
どんな絵だったか記憶にない。

僕のストーリーのルーツは
祖父が祖母と知り合い、父が生まれ、父が母と知り合い
酔った勢いで僕が誕生したのかは定かではないが、奇跡だ。
そして、その奇跡が奇跡を起こし、誰かと出会う。
僕のストーリーはその奇跡で完成する。

なのに「誰かと自分を比べる」
「僕は僕だ!」と思っていてもどこかで比べる。

そして、僕は気づく。

見える景色を変えないと「終わりを思い描いても」
また元のいつもの僕。

結局、見方は景色を変えないと変わらない。

日曜日にYAHAMA SR400でライドしてペレファ・カフェという(元)長野県四賀村にあるカフェに行ってきました。元祖バイク女子である三好礼子とパートナーのカフェに行ってきました。相変わらず県外からのライダーが集っていました。あまりバイク好きの集まりは好きではありませんが、SRを走らせるのにちょうどよい距離なのでペレファに行きました。松本市四賀化石博物館の前です。三好さんも化石のように歳を取りましたが、僕も同じです。

YAHAMA SR400で走るのと1000ccのYAHAMA YZF-R1で走るのとでは見える景色がまったく違うのです。景色が変わるとやることも感じ方も変わります。

つまり、朝起きて、ベットを整え、ペットの猫のトイレまわりを掃除して餌をやる。ドアを開けて外気に触れる。これだけで景色が変わり、心のあり方が変わる。小さなことに拘って心を痛めて「いつか・・・」からの脱皮。

そこに落ちているゴミは、今拾う。できれば鼻歌を歌って♫
神様が、そこにゴミが落ちていると教えてくれる。
「面倒くさい」と感じときは、神様が「それをやりなさい!」と僕に指示をしているのだと感じるようになる。

たいてい、「面倒くさい」と感じることは重要なことなのです。

そして、「時間は有限だよ!」とスティーブ・ジョブズを通して神様が教えてくれる。成果は「時間の使い方」つまり、成果は時間ではなくエネルギーによるのです。それもお気に入りのバーボンが、いつか終わるように僕は終わる。

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

https://www.nikkei.com/article/DGXZZO35455660Y1A001C1000000/


誰かが言う。「おまえはAPPLEみたいな大企業を創るわけでものないし、創れるわけでもない」

もちろん、誰かの言う通りだ。でも、僕のストーリーでは、僕はジョブズにならなければいけない 。社員やクライアントや家族や友達のためにも僕が選んだ僕の役割だからね。

自分は死ぬのだという不変の原則を思い出すことが、不安にとらわれない最良の方法となる。泣きながらこの世に生まれてきた僕は、一秒、一秒死に近づいていくのだからね。だから、自分が得た人間という機能を世の中のために最大限に活用するだけです。

そして、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一文にある「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」に誰かのために残りの人生を捧げるのです。

アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html

そのために時間に使われるのではなく、自分のための時間を使うのです。経営とは、リーダーシップを発揮して、行先を示し、その方向に向かう姿勢を社員や顧客に見せることだと僕は考えます。

いくら一生懸になって命経営しても、神様のいない人には幸運は訪れないと思うのです。経営には熱意や技術必要だけど、神様も必要です。毎日ネジを巻いていたらバネも壊れます。ネジを巻くべきときがあります。

「ジブンヲカンジョウニ入レ」たら、それはできません

朝起きたら、自分のことではなく、愛猫のことから始めます。そして、ネジを巻きます。そして、車の運転は、譲り合いと思いやりで他人を裁かないで心をいつも穏やかにすると同時に、見えてくるものも変わります。自分と他人を比べないで、いい人は楽しい時間を過ごし、心貧しい人から遠ざかって、巻いたネジが弛むまで、僕の神様に従って集中して仕事をするだけです。

今日は、こんなことを書くようにSR400に乗っているときに神様に言われた。

愛は無償です。


超訳 You raise me up(Martin Harkens)このYoutubeに写っている人たちの殆どが老人です。5年後の日本のようです。でもイタリアにはデザインがあります。こだわる思想があります。それは、たぶん、神がそばにいるのでしょう。この歌の”あなたは”は”イエス・キリスト”です。イエス・キリストは人々に無償の愛を注いでくれました。僕の横にもイエスがいます。だから強くなれるのです。この歌の超訳をYouTubeで読んでください。経営者だからではなく、一人の人として強く生きなければなりません。そして、宗教を持たない日本人のために僕は誰かをrase up
する存在にならなければなりません。いや、なりたいのです。

また、今日も違う景色を求めるのです。
周囲の人々に無償の愛を提供するのです。
母親が子供が病めるとき、無償の愛を提供するように。


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