ピンチの時こそ、空を見よう。【物語・先の一打(せんのひとうち)】14
「今日はさ。のんびりできる、いい景色のトコへ行こうよ」
高橋が二人に言った。
「僕んちに三人でいると、おちつかないって言った方が正直かな」
奈々瀬はかすかにうなずいた。
発熱という理由で、高校への二~三日の欠席連絡は父の安春がすませた。土日の二日も合わせると、五日間の時間かせぎができたということだ。
手指と脇腹は打撲、頬は腫れ、口中は切れている。貴重な五日間。
奈々瀬は、少しほっとした。
「これからどうするか、気になるんやけど」四郎があえて言う。
「今日一日だけ、とことんアタマを空っぽにして休もう。ゆっくりしないか」高橋は答えた。
「僕が抜きたいのは、奈々ちゃんがこれまでどっぷり漬かってきた前提だ。ごはんもそうじも洗濯も任されて、進学校で高一から大学受験対策。だろ? 見えないベルトコンベアに乗ったままでは、そもそも論はむずかしい。……勉強、気になってるでしょ実は」
奈々瀬は黙ってうなずいた。
「大丈夫。大学受かるのに高校の授業はいらない。
もしも大学に行きたくて、大胆に高校をすっとばすとしたら、高卒認定をクリアするために僕と四郎と周りの人が、理系文系科目をぜんぶ教えてあげられる。
二年の在籍を要件に、大学への飛び入学の余地もゼロではない。
そこまで大胆にやらない場合、欠員募集の公立高に移る手もあるし、私立や通信制高校への転校もあるし、数週間休んで復帰する手もある」
奈々瀬はうなずいた。そうだった、自分の知らない打ち手の数々を、この人はどこからか出してくる人だった。
「どうできるかは案外、選択の幅が広い。ゆっくりしよう」
四郎は納得した顔になった。
浴室とタオルと洗濯ネットと洗濯機をひととおり説明したあと、高橋は戻り時間を奈々瀬に告げて、四郎とつれだって散歩に出た。
いつか二人でおにぎりを食べた、あの景色のいい高台へと……
「お前の不安が極力、少なくなるようにしようと思う」
高橋は眼下に住宅街をみながら言った。
「僕が考えてるいちばん抜本的な線は、奈々ちゃんと安春さんが松本の家から出て、奈々ちゃんが住所は安春さんのトコに置いて、実際はお前と同居しちゃう。その近くの家に僕。安春さんも近所。そんなイメージだ。さほど大胆じゃない線は、奈々ちゃんとお前の住環境の距離が、今よりは近い感じ」
「やってまだ奈々瀬十六歳やん」四郎はため息のような震え声を出した。
四郎の体にぎゅう詰めにされている「峰の先祖返り」たちの感覚では、元服十二歳、新しい人たちでも十八歳。女子の裳着(もぎ)元服も八歳から十八歳。なので不自然さは感じない。
だが、四郎がこわいのは自分自身と世間と家族だ。
「冬休み前に十七歳だよ」高橋はひざに頬をもたせかけて、両手でひじをかかえた。そしてつぶやくように言った。
「僕さあ、三十六歳すぎて生きてられる気がしないんだ、たまに四郎に聞いてもらうけれど。
四郎は、奈々ちゃんが十八歳すぎたら無事で一緒にいられる気がしないだろ?
それって、そのあとも人生が無事続くように対策するとともに、そこで終わっても悔いがないようにするのはどうだろう? ってことなんじゃないかな。
僕がもし神様で、お告げって手段が現代ではむずかしい場合、そういう感覚をその人に持たせることで、毎日をとことんキラキラ使いつくして生き抜きなさいよって伝える。
……しんどすぎるな、どうとらえ方を変えたらいいんだろうな、って思ってた頃、それを思いついた。悪くない思いつきだと思う」
「悔いなく……」四郎はぎゅっと目をつむった。
高橋はごろんとあお向けになった。「あ、四郎。寝転んだら、なんかいい感じだよ。あそこの木にひとつだけ、木守(こもり)の柿がある」
ふたりであおむけになって見た空は、冬らしい澄んだ空だった。地面からの冷えを受け取って、四郎と高橋は相次いでくしゃみをした。
「悔いなくってのは」
鼻をぐすぐす言わせながら、高橋はつづけた。
「あきらめをぜんぶはずして、実をいうとやりたいこととか、本心ではあんまりやりたくないこととかに、ていねいに直面して、それから選び取る。という前準備を、”ずるしないでやる” 、その後を悔いなく。……ってことだぜ」
高橋はそう言って、腕時計を空にかざした。「よーし四十分たった。お前の大事なおはねちゃんは、シャワーも身支度もすませたぞ、たぶんだが」