斜め下からのデッサンを取ったことがないな。ーー成長小説・秋の月、風の夜(73)
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奈々瀬はびっくりしたのだろう、切ってすぐに電話がマナーモードで振動した。四郎は電源を長押しして、OFFにした。
「……大丈夫か」
高橋が横たわったままできく。
「……むしろ大丈夫じゃないって正直に言えよ」
「……大丈夫にするほうが、慣れとる」
「それをするな、押しつぶすのはよせ。それに、僕がやらかしたことで、電話をかけてくれて、ありがとう。だいぶ、必死にさせちゃったんじゃないか」
「俺、電話せなよかった……いや、電話できたのは、よかったんやな。人に助けてくれんか相談できたんやもんな。
ほんでも、説明がぐっだぐだやった、へたすぎる……なあ、キモチワルイの、どうなんや今」
「まだだめだ。けど、ちょっとだけましだ」
クッションを枕にしたまま、高橋は座っている四郎を斜め下から見やった。(この角度からのデッサンをとったことがないな)と、関係のない、そしてこの状況には似つかわしくない素敵な考えがよぎった。
「四郎、このきもちわるさ自体を消すことは、できるか」
「……そうやな」四郎の返事がぎこちない。奥の人を牽制している。
「四郎、奥の人にも話に混じってもらおう。奥の人は室町時代人が六割ぐらい、江戸明治大正期が四割ぐらいだろ?」
「……そうやな」
――ほぼ、お前らのいう、ムロマチジダイやな
「発言力の大きいのは昔のほう、ってことだろ奥の人。……四郎がいやがってるのが何かは、わかる?」
――おまえも、ようわかっとるやろう……
「奥の人」が高橋を、ふりむけた意識でゆっくりとさわる。巨大なくじらの舌で舐めるような感触が、巻きつきそうに近づく。
これはまずい、と高橋は思った。「奥の人」に自律性を取られる。
へたをするとずっと、意思をもたない傀儡だ。
いくら親友だといっても、四郎とちがってすでに死んでいて未成仏、何人もが癒着して渦のようになっている奥の人は、親友の命や自律性の尊重には、重きをおかない。
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