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相手の片目に、自分の両眼で潜るんだよ。ーー成長小説・秋の月、風の夜(75)

人の目をまっすぐみられない四郎にとって、それはびっくりするほど深い海にもぐったような体験に似ていた。
「野生動物のように酷薄で深い」と表現してくれた四郎の目を、高橋の目がまっすぐ見てくれている。
四郎の目をみた十人が十人とも、恐怖にさいなまれて目をそらす。高橋以外の誰も耐えられない。だから四郎も、人の目を見られない。
こんなにひとりの目の奥を覗きあうことなんて、できるのだろうか……と、ふと我に返るとうろたえるような、そんな心のつかまれかたをしている。

ふいに高橋が笑った。

二人して死地にいる。そして生還しよう。生涯ひとりの親友と、こういうタイプの死地に入るとは、思ってなかったな。
まあ、いい経験だ。

「奥の人は、僕のどこがいいんだ。はじめて会ったとき、あんたは僕に合格と言った。僕はあんたと釣り合いたかった。あんたは僕を親友にしてくれた。
そのあとあんたが、ときどき僕をじっと見ているのには気づいた。四郎とばかり話して、どんどん距離が近くなって、あんたとはさほど話さなかった。通じ合った感じはある。けど、そもそもが、大きな渦のようなカオス感しかなかったあんただ。僕とこんなふうに親しく話せるまでに、人に近い状態に戻るように、ずいぶん多くを削ぎ落してくれたじゃないか。
それから僕を、どうしたいんだ。言うといいさ」

高橋は心の中でよびかけた。さあ奥の人、あんたも僕の親友だ。テーブルにカードをすべて出してくれ。あんたの持っている、支配、蹂躙、欲望、簒奪、ぜんぶ出してくれ。……ぜんぶ……だがもしも、扱えないボリュームだったら、どうする……?

黙って、奥の人はにやりとわらった。四郎がぎゅうっと目をつむる一方で、奥の人は高橋に、なめるように距離を近づける。高橋は思わず、目を閉じた。ああ、横たわっているこの姿勢が、無防備すぎる。総毛立つ恐怖を、奥の人に知られないよう後ろにかくす。
分速1ミリでにじりよってくるアメーバ状の津波のような、どろりとした奥の人の、呑み込むうごき。そのボリュームに、高橋は歯を食いしばった。ハレーションを起こして自分がパニックになっている。でかい。暴虐すぎる。これはとても扱えない。ひとりじゃむりだ、四郎と二人ならできると思いたい。ひきつけられるだけひきつけるため、高橋はもうひとこと、しぼりだした。

「その上で、四郎が嫌がることは、僕も、したくない。そこは汲んでもらえるかな」
――がまんがきかんのが、俺らやぞ……

「四郎今ので全部だ、かぶせて消しちゃえ」高橋が恐怖に耐えきったあげく、いくぶん大きな声で言った。四郎がすかさず、奥歯をかみながら、奥の人が高橋に限りなく近づけて取り込もうとする悪魔のような巨大さに、ことごとく白い布をかぶせるようにして、

……しばらく、ものすごい抵抗があった。
「……くそっ」四郎がめずらしく、悪態をつく。高橋は半身に起き上がって、四郎の支えになろうとした。
「離れろ」
ささやき刺すような声で一喝して、四郎は高橋を遠ざける。そして総身をつかみしめるようにして、徐々に、徐々に、残った圧倒的に凶暴な、なめるように巻き込み踏みにじるものどもを、ひとつひとつ、消しこんでいった……



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マガジン:小説「秋の月、風の夜」
もくろみ・目次・登場人物紹介

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!