生きる希望の持ちかたがわからない時、他人を踏み台に使う件【物語・先の一打(せんのひとうち)】48
奈々瀬と一緒に暮らしたい、という「うれしさ」や「わくわく」感が、自分の中にない。
四郎は、そのことに気がついていた。
そもそも、どういう生き方をして暮らしたいという希望が、自分自身の中にないのだ。
「峰の先祖返り」の一人である以上、もう死ぬ年頃だ。
かないもしない希望をうっかり持って、失意と絶望をいっそう耐えがたいものにしなくてもいいではないか。
「十九、はたちで、死ぬ前提でいる」
……この前提をどうしようか、と四郎は思った。
従来ならば、自分一人で懊悩(おうのう)していた性質の話だ。
だが高橋から、奈々瀬から、そして奈々瀬の父親の安春からも、「ひとりで悩むな」と言われている。
(とりあえず、高橋に説明してみよう)
という思いつきが、四郎の中に生まれた。
四郎のなかに、うまれてはじめて、新しい選択肢を自ら選ぶ、という対応がうまれた。
だが、どう説明していいものやら。
とりあえず四郎は、自分のスケジュール帳のメモ欄に
「十九、はたちで、死ぬ前提でいる」
とだけ、書きおおせた。
使った時間、30分あまり。
悩んで、一言かくのに、30分。
時間、かかりすぎ。
これはいけない!!
……これはいけない、こういう自分はだめな自分だ、と考えてから、ふと四郎は、
「虐待被害者が成長したら虐待加害者になる理屈」
に気がついた気がした。
こういうのを「だめ」として、「力づくでも矯正しないと」と思い、できねば怒りを覚える論理が、そのまま教育されてしまうのだ。
つまり虐待の連鎖を抜け出すには、自分を「こう時間がかかってもいい」という別の教育土壌に、植え替えてやらねばならない。
のろのろとしかやりようがないのだ……
訴えをたたえて、すこしすがりつくような目をした四郎に、高橋は
「はいどうした」
と、笑みを含んで応じた。
「あのな」
四郎はまとまらぬ話を、まとめ得ぬまま、ぼそぼそと高橋に話した。「俺、十九、はたちで、死ぬ前提でおるみたいなんやん」と、スケジュール帳のメモ欄を指さしながら話した。高橋の顔色が少しだけ変わった。たぶん、高橋自身の
「三十六歳をすぎて、生きていられる気がしない」
という感覚と、ダイレクトに結びついたらしかった。表面上はおだやかな高橋の顔相が、層のひとつしたで、さっと蒼白になった。
しかし。
高橋の恐るべきところはここで、ばっさりと即座に、自分自身の感覚が問題をからげて、別の方向にひきずることを切った。つまり、四郎の課題だけに、自分を混じりこませることなく、集中した。
少しだけ一瞬変わった顔色が、もとの「はいどうした」といったときのフラットな顔に戻った、それをみて、四郎は強烈に
――うらやましい !
ずぶ濡れの朝の散歩で、虚構の安倍晴明に感じたとおなじ、あの感覚にゆさぶられた。
電流を流されたような強いうらやましさに、四郎はぐわっと胃の腑をつかまれるがままにさせた。
「なあて、どうしたらそんなふうに、自分のことおいといて、俺の問題に集中できるんや!」
まるでつかみかからんばかりに問うて、四郎は自らにあきれた。何をけんか腰になっているのだ自分は。
「うん、そうだな」高橋はまるで四郎の剣幕にはおかまいなしのように、返事をした。
何かを相手に言ってみての四郎のとまどいを、高橋ははじめから理解していたものらしい。言いかえれば、四郎がつかみかからんばかりに問いをぶつけたことが、自分への攻撃などではないと、はじめからわかっていたものらしい。
だから、四郎が、自分の中から暴発した不慣れな問いにうろたえているようすにも、かまわずにいられた。
それはあたかも、「銅線のフィラメントでは短い時間で電球が切れてしまいます」と助手から報告をうけているときのエジソンのように。そのように、高橋はフラットに答えた。
「自分の感情がふりまわす自分の状態と、目の前の、この人がかかえている問題課題が、”どれほど無関係”か……。
なのに、”どれほど僕たちは、自分自身の個別の状況と、他人の状況とをくっつけたがるか”……ということを、いろんな局面で、よく体験してきたからじゃないかなあ。ぜんぜん別のたとえ話をするとね、」
高橋は、ペンを手指で遊ばせながら、中空をぼんやりとながめた。
「僕はときどき、気分が最悪になるんだよ。見捨てられた感とか、罪悪感とか、無理に人の意見を聞いてそれに応じて、疲れ果てた翌日とか。
その気分が最悪で、もう布団から一歩も出たくない、という状態になるわけだ。高校生のときなんかは、その気分を信じ込んで、ほんとに夕方4時まで寝ほうけて、一日を無駄に使って、自己嫌悪してた。しょっちゅうだったなあ。
で、その気分が最悪のときに、なんと僕は、コンビニのカルビ丼を食べてしまえるんだな。プリンも食える。自分のためにコーヒーを入れることもできる。それだけじゃなく、時間があるとき見ようと思って録画しておいた、映画の『スターウォーズ』シリーズだって、気分最悪のままで再生して、けっこうのめりこんじゃえる。落語の音源聞いて、爆笑してられもするんだよ。
歯磨きもできる。
エグコンとのミーティングさえできるんだ。
最悪の気分のままで、結果を求められるようなプレッシャーが伴わないことがらは、全部できちゃう。最悪の気分のままでやると、あとでひどく自己嫌悪すること以外は、やっても大丈夫。 ~ということを、僕は30回も40回も、ためして納得してきたんだよ。
最悪の気分のままで、人前にたつのはしないほうがいい。結果が次の結果を左右する仕事も。そういう、責任があるところや、自分へのフィードバックが他の人から返ってきてしまうところには、最悪の気分のままではタッチできない、とてもできない。それをしないことにする、というのは切り出して周囲と認識合わせしてある。
すると、自分をプレッシャーや失敗感や自己嫌悪から守ることができる。だから、僕の気分のブレは少しマシになる」
高橋はひとりごとのようにそういいながら、
――だとしても、お前の剣幕は、こわすぎるぐらいこわいな!
と心の中でつぶやいた。ああ、ひとりになったときに泣いておかないと、次は話を受けつけてやれない……こわすぎる……
「つまりさ、なんで自分の気分をおいといて、お前の問題に集中できるかというと、お前が僕に結果を求めたりしないことを、僕がちゃんとわかってるからなんだよ。……それの土台は、数げいこなんだ、四郎」
それを聞いて思いもよらない言葉が、四郎の内側からほとばしり出てきた。
「お前のこと食い殺してその能力が手に入るなら、すぐにそうしたい」
いま、誰に自分の口を使われたのか……と、四郎はぎょっとしたように、自分の唇を指で触れた。高橋も、四郎なのか、ご先祖様なのか、奥の人なのか、違うのか、と、においをかぎわけるように、四郎をみつめた。
「……カニバリズム信仰の、特に脳みそを食っちゃう事例に、そういう発想、なかったか」
「……たぶん、ある……」四郎は指を唇に触れたまま、自分の中の、奥のほうの、きわめて原始的な衝動に、ふるえた。
高橋と四郎は、しばし互いを見ていた。
高橋がふたたび、口を開いた。「それで、十九はたちで、死ぬ前提でいるって感覚をもったままでは。奈々ちゃんとの、いったん彼女が18歳までの時期を、ラブラブで過ごすには重苦しいと」
「え……」四郎は途方にくれたように声を出した。「いや俺、ただ、『十九、はたちで、死ぬ前提』てって自分の感覚がある、という話だけを」
(話を先に進められたくない!事象そのもの、の把握で、とどめてほしい!) という抵抗の衝動が、四郎の内側から、ぐわっとあがってきた。
そういう気分なんだな、それを確信してしまっているんだな、という場所で、一緒に気持ちを共有してほしい、という感覚はある。
だが、この場合は。
女性がよくいう「わかってもらえたら、それで気が済んでいく」というのとは違って、「わかってもらったとしても、本人は”わかってくれた”という感触をもたない」。
その点で、これを信じ込んでいる本人は、全く慰められることはない。したがって、気が済むこともないし、先に進むこともない。
往々にして、ここで話を聞かされた方と話を聞いている方とは歩調があわなくなってしまう。
そして高橋は、どちらかというと「歩調を合わせるかどうか」の部分には、頓着しなかった。
「事実、というか現状把握、というか、いまそうだよね、という話は、そうだよな」高橋は万年筆で、いつもの方眼レポートパッドに、そう書いた。
「それはたとえば、600万円ためて自家用車がほしいなー、といっている5人家族のお父さんが、いまの時点では子供の進学資金をためてるから、自家用車の積み立てはがんばっても月5000円だなー、600万円の自分の欲しいものには程遠い額しかたまらないから、シェアレンタルでも探すかー、みたいな話の流れのなかでは、どこの部分になる?」
「がんばっても月5000円、のとこ」
そんな例を出されても、自分の感覚とは程遠い、という表情で、四郎はしょんぼりと答えた。「なあ高橋、俺のもっとるこの感覚がな、どうにかなるように思えやへんのと、車買うような手軽な話のたとえには、どうもあわんような」
いちおう、文筆の業(ごう)をもつものとして、最低限の言語表現は試みてみる。
それに対して、高橋は平然とつづけた。
「それはこの家族でいえば、奥さんのほうの、 ”自家用車にディーノ246GTなんてダンナの自己満足の見果てぬ夢なんだから、私の感覚じゃないわよ。だいいち家族でどこかに行くとき、ワゴンじゃないと不便でしょ” ってあたりと、似ていなくもないよな。それで、図解の例題の、この一家は、お金の重点をだれのどんな時期の、何に充てていくことで、家族全体の幸せを最大化しようか? という課題を満足しようとしてるわけだよな」
高橋はうっすらとした点線を使った図で、<現状>と<希望>と<ゴール>、<具体的な重点>、みたいな図の割付を、白い紙の上に描いた。
「お前とご先祖さまたちのもがき苦しみを見ているとな、この、”月に5000円しか貯金できない”、ってところで、『ああーもうだめだ、パチスロだ、発泡酒だ!女だ、みなごろしだ! この身内の連続殺人犯を、これ以上ひどいことにならないうちに、闇討だ!』 ~みたいな感じに、現実逃避というか”将来のためにならないあれこれの事件”というか、それを次々とやけっぱち暴走で重ねて破滅に頭から突っ込んでいく感じなんだよな。先祖代々、全体像を考えてみたことなさそう、というか」
四郎はグッとだまった。
だまったままになった。
「先祖代々、全体像を考えてみたことなさそう」だとっ!?
何を言われているのだか、まったく耳に入ってこない!
いやむしろ、全体像なんてないから、人を殺して血を飲んで回っているのではないか!それがどうした!!
自分の中で、なにかがふつふつと逆ギレしている。ということは、これは<図星>だ。
かろうじて、怒りの裏には図星がある、と考えるぐらいの頭の働きは、四郎にも残っていた。
「四郎、いや、ご当代。
で、この5000円の世界から、ちょっと一歩とは言わず、半歩だけ外に出て、今僕が勝手にあててみた全体像が、いかに自分のケースにとっては”しっくり”こないか、いかに的外れだか、まくしたててみないか?」
高橋はにやりと笑いながらそういった。
そうなのだ。
経営コンサルタントは、「自分の価値観にフィットした前提と世界観」とは違う提案が目の前に出てきた時の、経営者と経営幹部の、集団での全身全霊の抵抗ひとしきり……なんてものには、慣れっこになった生き物なのだ。そこで大金を受け取るのだから。
「ご当代……」
ご当代という呼ばれようを反芻した四郎の右手が、ぐっと自分のひざをつかみしめた。
――俺の代で全部つぶしてやる!
と心の中で叫び声をあげた、火を吐くようなあの夜の怒りが、自分の中には確かにあった。
あの晩は、すべてをさら地にするのだという感覚があった。
この図を見ている限りでは、違う。違っていた。あの叫びは、ものごとの狭い一部分しか見えていなかったものの破壊衝動だった。つまり、さら地にする方向性ではなくて、狭い世界と気の違った前提とをつぶして捨てて、一回り、二回り、広い世界の話を考え、つくり直すということのほうが、より建設的な正解らしかった。
「ぜんぜんそんなことができる気はせやへんが、奈々瀬といつか結婚したい、奈々瀬が35歳すぎてからでええ。先にお前にゆずる」
早口で枝葉にあたることを意味不明にも口走る四郎に対して、悠然と高橋は返事した。
「はいはい」
自分の価値観世界観の危機に際しては、人は心破れて痛みを感じたりしないように、愚にもつかぬ保険をかけまくるのだ。
愚にもつかぬ保険をまくしたてられた聞き手は、正論でもってそれを正したい、という認知の不協和にさいなまれる。が、愚にもつかぬ保険の愚にもつかぬところは、あとで世界の見え方が違ってしまった後から自分で気づけば問題ないわけで、今指摘しても百害あって一利もない。聞き流すに限る。
食い殺したい、というつぶやきも、奈々瀬をどうこう、というつぶやきも、現在ただいま、相手にしないがいい。
高橋も、
――35歳までの奈々ちゃんをあずかって生活を組み立てて、それから先の奈々ちゃん36歳以降の僕は、どうなるんだよ、ばかやろう!
と心の中でわめきつつ、そこは手慣れたもので、すらすらと「幸せな一家の図」の該当するパーツの部分、車が買いたいとか子供にお金をかけたいとかの部分に、奈々ちゃんと結婚したい、と書き入れる。
結婚
の二文字をみたとたん、四郎の中で
「鼻血でも噴き出すのではないか」とおびえるような血管のふくれあがりと、それとはまた別に、
「世間をだましおおせてやった」とでもいうような、詐欺師が快哉をさけぶような優越感とが、わきたった。
なんということだ!
どうやら、結婚したいから結婚したい、という動機ではなかったのだ!
峰の先祖返りのひとりとして、「できそこないのぼろきれのように誅殺されてしまうことなく、初めて嫁をもらう快挙をなしとげる」というのは、
<俺ができそこないではない、ということの証明>
……だった。
俺が出来損ないではない、ということの証明のために、奈々瀬をその道具に使うだと!?
「うわ……」四郎はあまりの自分の下劣さに、もはや涙も出ない、と思った。