あきらかに「巻き込まれ型」です。あわれだーー秋の月、風の夜(21)
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案の定、有馬先生と四郎と高橋は、警察官に実況見分立会いと事情聴取への協力を求められた。
四郎は再び、斎藤課長に電話を入れた。
電話の向こうでは、たぶん斎藤課長が蒼ざめている。
「こういう場合、どういう業務報告出さんならんか、追って教えてください」と頼んで、四郎は電話を切った。
有馬先生は、氏名年齢住所職業を、ちょっとムッとした表情で答えている。そこはどんなに有名であろうと、ペンネームではなく本名で正しく告げねばならない。
ほほえましく眺めていた高橋も四郎も、そばに聞き取りの警察官が来て、話をはじめた。
「えっ、未成年なの」
「はい十九歳です」返事はするものの、四郎はやはり警察官と瞳は合わせられない、人を恐怖に叩きこむだろうから。相手のまつげをそっと探して目を伏せる。
「高卒で就職したのかー。しかも有馬先生の担当さんなの?たいへんだねー」
誰にも話を聞かれない高橋は、やっと広徳館をぐるりと見まわす心の余裕を取り戻した。あちこちほこりっぽく、さっき蹴倒されたビールが水たまりを作り、土足に踏み荒らされた床が痛々しい。およそ道場といえば、四郎が毎日掃除する樟濤館(しょうとうかん)しか知らない高橋は、「道場の掃除とはあの品質」だと誤解していた。
あのレベルの清掃は世間にはないのだと気づき、胸の痛む心地でいっぱいになった。
すすけた掛け軸と、神棚と、見取席のようすを、高橋はぼんやり眺めた。
不意に、子どもが減り高齢化が進むとこういう景色も生むのだ、と気づいた。
予定していた会議ができない。これは大ダメージだ。
とりわけ四郎が情けない表情をしたのは、ミーティング録音用のICレコーダーとスマホが、警察預かりになってしまったことだ。
「ああーしまった、俺、たわけらしいことしてまった……」
ICレコーダーは社の備品だ。そして、連絡先ことごとくと、日報のフォームほか、仕事とプライベートのほぼすべてが入ったスマホ。SIMだけ取り出すなんてことはできないか、聞いたが無理らしい。
四郎は頭をかかえた。
「うわー!どうしたらええんやーー!」
すっとしていた背が、中腰に折れていく。今にも座り込みそうだ。
(どうしたらって。警察に渡せるようにって言ってたくせに、予測してなかったのか)と高橋は思った。
そんなに頭をかかえるのなら、録画にはしれっと有馬先生のスマホを借りてやればよかった。いまさらどうしようもない。
「そうなっちゃったことは仕方ない。斎藤さんに途中経過入れとくか」
高橋が背広のポケットから、自分のスマホを取り出して貸そうとしたとき、
「すいません嶺生(ねおい)さん、この録画映ってるやつねえー」
手招きして呼ばれる。四郎は「はい」と返事をしながら立って行った。はだしのままだ。
警官が録画を途中で止め、四郎に尋ねる。「これ順番に、どこで誰をどうしたかって、確認して行きたいんですけど」
写真を撮っている同僚をちょっとどかせて、記録取りの係と二人で、警官はスタンバイをする。「録画に映ってるとこと、ここの実際の動きとを、合わせていきたいんです」
「はあ」四郎は生返事をした。いくら有馬先生をトラブルから守るためとはいえ、「覚えてない」でとぼけられる退路を自ら断ったことにも、今・たった今、気づいた……!!
「剣道の先生が、殴られて隅に押し込められてたんですよね?場所はどこですか」
「見取席(みとりせき)、あそこです」四郎は奥の隅を指さした。「入ったときには、そこらへんにおる人んらでほぼ姿が見えしと、そっちへ近づいて離してもらおうとして、」
「入ったのはどこからですか」
四郎は丁寧に入口へと戻る。「ここの戸を広くあけて、斜めに進んで」
四郎が戻ってきそうにない。高橋はかわりに斎藤に電話を入れ、社の備品とスマホと四郎の運命を告げた。
「……なので、主に有馬先生に直接、連絡ください」
電話を切って、腕時計をちらりとみた。有馬青峰に耳打ちする。
「有馬先生、僕京都の店に抜けて、また明日の朝戻ってきたいんですけど、ムリでしょうかね?」
「え?あ、もうその時間?」
京都の店を見に行くので車で出る、と告げておいた時間が、せまってきている。
有馬青峰、地元警察主催の講演にも呼ばれる文化人オーラを出しまくりながら、「運転手としてつき合わせてしまった挿画担当を、予定の用事に出してやれないか……?」と交渉にかかる。高橋がそばで神妙な顔をしていたら、許可が出た。
「すごいな、いいのか」
高橋は、事件への自分のかかわり方が、単なるツレとして非常に薄かったことに感謝した。
そういう妙な運を、自分は持っている。さすがだ……
実況見分の最中、一人目をどう転倒させたか説明している四郎に近づき、高橋はこっそり伝えた。
「すまん、京都の店を見てくる。戻りは言っといたとおり明朝だから、今夜の移動はタクシーで頼む。斎藤さんには備品とスマホがどうなって、お前がいま何してるか伝えた。有馬先生に連絡入れてほしいと言ってあるから」
「……わかった。おじさんに、迷惑かけたらあかんよてって言っといて」
「言っとく」
高橋はすっかり日暮れた外へ出て、伸びをした。照り返しの残る空気があつぬるい。日没に急に冷える頃は、まだ先なのだ。
緊張していたらしく、体がこわばって息を殺していたのが、はじめてわかった。
なんて日だ……。
ひとり難を逃れた気分の高橋は、ともかくシルバーのA4アバントで、京都市内へ向かった。明らかに巻きこまれ型である四郎を、あわれに思いながら。
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「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!